
4月のある朝、BBCのトップニュースに流れた見出しがこれだった。
「イギリス全土で25度超え、記録的暑さ」
気象庁の緊急会見が開かれ、専門家が「今週は異例の高温が予想されます。皆さん、水分補給を忘れずに」と真顔で訴える。その横では、レポーターが公園に設置された温度計を指さしながら、「現在、ここでは26.2度を記録しています」と報告。カメラの後ろでは、日光浴を楽しむ人々がピムズ片手に寝転び、裸に近い格好で日差しを浴びている。
日本から来たばかりの観光客が「これで?」と首をかしげるのも無理はない。25度と言えば、日本では春の陽気。夏日の手前でしかない。しかしイギリスでは、それが「歴史的猛暑」「4月の非常事態」「異常気象の現実」として、国を挙げてのニュースになる。
いったいなぜ、イギリスでは25度がこれほどの騒ぎになるのだろうか。そして、その気温の背後に潜む気候変動の影が、どのように国民の意識と交差しているのか。本稿では、イギリス人の天候への異常な執着と、温暖化という重たい現実に対する「ちょっと皮肉混じりの受容」について掘り下げてみたい。
「天気」は国民的な話題の中心
まず、イギリス人と天気の関係性を知らなければ、この25度騒動を理解することは難しい。
イギリスでは、天気は「社交の潤滑油」であり、「沈黙の打破剤」であり、時には「政治の代替トピック」でもある。スーパーのレジで店員に「How are you?」と聞かれても、「Lovely weather today, isn’t it?」と返すのが礼儀に近い。人と会えばまず「今日は寒いね」「また雨か」と天気の話題から始まり、そこから会話が広がっていく。
これは、イギリスの天気が一日に四季を内包するような、変わりやすく予測不能なものだからだ。朝は晴れていたのに、午後には雷雨、夕方には霧が出て、夜には突風。そんな天候の中で暮らしていると、人々は自然と空模様に敏感になる。
この気象的な不安定さが、国民の気質や文化にも影響している。たとえば、イギリス人の「控えめなユーモア」や「自嘲的な語り口」は、曇天が続く気候の中で育まれてきたのかもしれない。太陽の光が少ないほど、人は皮肉や冗談で自分を慰めるのだ。
「25度」は祝日レベルの高揚感
だからこそ、4月に25度というのは、国民にとって「自然からのご褒美」なのだ。
ロンドンの公園はたちまちピクニック客で埋まり、ビールやピムズを手に芝生に寝転ぶ人々であふれる。セントラル・ラインの地下鉄では冷房がないため、蒸し風呂のような状態になるが、それすらも「夏っぽい」と受け入れられる。
一方、テレビでは連日「この気温は気候変動の影響か?」という特集が組まれる。大学の教授や環境学者が登場し、「産業革命以降、気温の平均が…」と丁寧に説明する。しかし、その横では、キャスターが「でもやっぱり、この暖かさ、嬉しいですね」と笑顔で締めくくる。
この矛盾こそが、イギリス的な「現実とユーモアの共存」なのだ。誰もが気候変動の深刻さを理解している。それでも、「せっかくのいい天気なんだから、楽しまなきゃ損だよね」という本音が勝ってしまう。
気候変動と向き合う難しさ
イギリスでは、気候変動に関する意識は比較的高い。環境団体「エクスティンクション・レベリオン」が市中心部で行う抗議活動には、多くの若者が参加する。BBCも再三にわたり「2050年までにカーボンニュートラルを目指す」といった政策を報道し、政府の取り組みにも注目が集まっている。
だが、気候変動がもたらす変化の中には、「一見、嬉しいもの」もある。たとえば、イギリスの冬が以前ほど厳しくなくなり、夏にはビーチリゾートのような陽気になることがある。こうした「温暖化による短期的な快適さ」が、人々の問題意識を鈍らせてしまうのだ。
「今年の4月は過ごしやすいね」 「これが毎年続いたらいいのに」 という会話の背後にあるのは、「気候変動=ネガティブ」という単純な図式では捉えきれない人間の欲望と感情だ。
皮肉とユーモアで包まれる現実
イギリス人は、直面する問題に対して直接的に怒りや悲しみを表すことは少ない。代わりに、皮肉やユーモアを使って現実をやわらかく受け入れる術を持っている。
「今年の夏はアフリカより暑くなるかもね!」 「温暖化って、ちょっとありがたいわ。海に行けるし。」
そうした言葉には、どこかしら不安と諦めが滲む。しかし、それをあえて笑いに変えることで、人はその現実と「共に生きる」準備をしているのかもしれない。
最後に──それでも、晴れは嬉しい
25度の春の日。リバプールのカフェでは、若者たちがアイスラテを片手にテラスで笑い合い、エディンバラの老婦人は「今年もお花が早く咲いてくれたわ」と嬉しそうに語る。ブライトンの海岸では子どもたちが裸足で波打ち際を走り回り、パブでは「暑すぎるわね」と言いながら冷たいビールを楽しむ声が響く。
どんなに地球規模の問題が進行していても、人々はその日、その瞬間の「気持ちよさ」に素直になる。
それが人間らしさであり、イギリス人のしたたかさなのだろう。
だからこそ、気候変動を語るときには、ただ警告や数字を並べるだけでは足りない。人々の感情、矛盾、喜びの裏にある不安に目を向けながら、共感と対話の中で変化を生んでいくことが、これからますます求められていくのかもしれない。
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