英国ビザの高い壁と、希望の扉「High Potential Individual Visa」──30年前の強制送還から始まる物語

イギリスと聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?
紅茶、ビートルズ、ロンドンの曇り空、歴史ある建築物、洗練された英語、そして――「ビザがなかなか取れない国」。

そう、英国は長らく「移民に対して厳しい国」という印象を持たれています。とくに第三国、つまり英連邦外の国から移住を目指す場合、そのハードルは想像以上に高いものでした。

ある若者の夢と、ヒースロー空港での現実

今から30年ほど前、私の友人がまさにその高い壁に挑み、そしてあっけなく跳ね返されてしまった出来事がありました。

当時、彼は東京のクラブでDJとして活動し、海外からのアーティストや観光客とも日常的に接していました。英語力も申し分なく、洋楽やクラブカルチャーに心酔していた彼は、ある日、こう宣言しました。

「俺、イギリスに行く。向こうで本気で何かをやりたいんだ」

当時のイギリスは、音楽シーンが爆発的に盛り上がっていた時期。UKロックやアンダーグラウンドシーンの最前線に飛び込みたいという彼の決意は、本気そのものでした。

出発前夜には彼が勤めていたクラブを貸し切り、仲間内で盛大な送別会を開きました。私もささやかながら餞別を手渡し、彼の門出を祝ったものです。

ところが、彼の冒険は、ロンドンに到着したその日、ヒースロー空港の入国審査で、唐突に幕を閉じました。

「入国の目的は?」と尋ねられた彼は、正直に「仕事を探しに来ました」と答えてしまったのです。

結果、彼は「不法就労目的での入国」と判断され、入国拒否。半日空港の一角で過ごしたのち、強制的に日本行きの飛行機に乗せられて帰国となってしまいました。

“夢を追う”だけでは通用しない国

彼のケースは一見、運が悪かっただけのようにも思えますが、実はこの出来事は「英国という国の移民政策の本質」を見事に象徴しています。

そもそも、日本は国としては裕福な部類に入ります。国内で戦争も紛争も起こっておらず、経済危機で国民が国外に脱出せざるを得ない、というような状況ではありません。そのため、「避難民」や「難民」として他国に保護を求める資格はまずありません。

また、日本人が他国に“出稼ぎ”に行くという発想は、国際的には奇異に映ることがあるのです。たとえ個人として生活が苦しくても、「日本人が就労目的でイギリスに来る」こと自体が前提として想定されていないのです。

そして、観光ビザや短期滞在ビザでの入国中に就労をすることは、明確な「違法行為」となります。たとえ仕事を“探す”だけでも、面接に行ったり、職探しの準備をしたりするだけで、「就労活動」と見なされることがあり、それだけで入国拒否の対象になります。

夢や情熱があっても、それだけでは通用しない。それが30年前の彼の経験を通して見えてきた、現実の国際社会の冷酷さでした。

そして現代――希望の扉が、わずかに開いた

しかし、時代は変わります。

かつては“選ばれし者”しか入れなかった英国という国が、近年、新しい制度を導入し、特定の条件を満たす人々に対して「特別なビザ」を発行し始めたのです。

そのひとつが、**High Potential Individual Visa(高い潜在能力を持つ個人向けビザ)**です。

2022年からスタートしたこの制度は、従来の「雇用主スポンサー制」や「永住者との婚姻」などに頼らずとも、個人の能力や学歴に基づいて、比較的自由な形で英国に滞在・活動できる可能性を広げるものでした。

High Potential Individual Visaとは何か?

このビザの特徴は、なんといっても「個人の学歴」にフォーカスしている点です。申請資格は、過去5年間以内に、世界的に評価の高い大学の卒業資格を得ていること。
つまり、「学歴」が世界的基準で高く評価されていれば、その“ポテンシャル”を信じて、英国が門戸を開いてくれるという仕組みです。

応募資格のポイント

  • 対象大学は「グローバルランキング上位」
    • 英国政府が毎年公開する「認定大学リスト」に名前がある大学が対象。
    • 日本では2022年時点で、東京大学京都大学の卒業生のみが対象とされました。
  • 卒業から5年以内であること
    • これは「直近の学び」が現在の社会的価値と直結していると考える英国らしい合理主義に基づいています。
  • 雇用主スポンサー不要
    • 通常、就労ビザには英国企業のスポンサーが必要ですが、このビザはその必要がありません。
    • 到着後に就職活動を開始することも可能です。
  • 滞在可能期間:2年(博士号保持者は3年)
    • 延長不可。ただし、期間内に別の就労ビザに切り替えることは可能です。
  • 配偶者・扶養家族の帯同も可能

つまり、東京大学や京都大学を卒業し、なおかつ卒業後5年以内であれば、英国に“就職前”に渡航し、一定期間自由に活動することができるのです。

一部の人にだけ許される「特権」なのか?

この制度は確かに非常に魅力的です。しかし、対象となる人が極めて限定的であることも事実です。

現時点で日本から申請できる人は、東大・京大の卒業生に限られています。
「なんだ、やっぱりエリートしか相手にしてくれないのか」と、がっかりする方もいるかもしれません。

しかし、逆に言えば、これはチャンスでもあるのです。

なぜなら、今後この制度は拡大していく可能性が高いからです。英国政府は、対象大学のリストを毎年更新しています。将来的には、早稲田大学、慶應義塾大学、大阪大学、東京工業大学といった他の日本の大学が認定される可能性もあります。

また、アジア、アフリカ、南米などからも優秀な大学が次々とリスト入りしています。つまり、これは「世界中の頭脳をイギリスに集めたい」という英国政府の戦略でもあるのです。

日本人にとっての「出国」の意味を考える

ここで少し話を戻しましょう。

30年前、私の友人は情熱と夢を持って英国に渡り、しかし制度の壁によってあえなく追い返されました。

しかし今、同じような夢を持った若者が、もし適切な情報と戦略を持っていたならば、英国で自分の人生を切り拓くチャンスが与えられている――そんな時代になったのです。

日本という国に生まれた私たちは、かつて「出国する理由」がありませんでした。
戦争もない、飢餓もない、経済も安定している。だからこそ、「なぜ外国へ行きたいのか?」という問いに対して、強い“理由”を持つ必要がありました。

でも今や、出国は“生き残りの戦略”であり、“可能性への投資”なのです。
世界が再び動き出し、国境が開き始めた今こそ、自分自身の可能性を信じて、世界に一歩踏み出してみる価値があるのではないでしょうか。

まとめ:夢を形にするために、制度を知ること

ビザとはただの“紙切れ”ではありません。
それは夢と現実をつなぐパスポートであり、覚悟と計画性を問われる試金石でもあります。

「High Potential Individual Visa」は、英国が新たに提示した“希望の扉”です。

その扉は、決して誰にでも開かれているわけではありません。しかし、正しい情報と準備さえあれば、その扉をノックし、未来を切り拓くことは十分に可能なのです。

「夢を追う」だけではなく、「夢を叶える」ための戦略――それこそが、今の時代に求められているのかもしれません。

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