1993年2月、英国のショッピングセンターで撮影された防犯カメラの映像が、世界に衝撃を与えた。映っていたのは、2歳のジェームズ・バルジャーを連れて歩く2人の少年。誘拐犯は大人ではない。ジョン・ヴェナブルズとロバート・トンプソン、どちらもまだ10歳だった。
33年後、そのうちの1人、ヴェナブルズの仮釈放が再び審査される。2026年9月28日には、遺族の要望に反して審査を非公開で行うことが決まった。ただし、仮釈放の審査が行われることと、釈放が決まったことは違う。なぜこの事件は長い年月を経ても人々の心を離れないのか。そして、少年たちの心理について、実際にはどこまで分かっているのか。
手をつないで歩く3人――あの日、何が起きたのか
1993年2月12日、リバプール近郊ブートルのショッピングセンター。ジェームズは母親と買い物に来ていた。母親の目が離れたわずかな間に、2人の少年が彼を連れてセンターを出る。その姿が防犯カメラに残っていた。
少年たちは学校を休んでいた。ジェームズを連れて2マイル以上、街を歩く。後に複数の目撃者が、この3人を途中で見かけていたことが裁判で明らかになった。通行人の目には、幼い子を連れた年上の子どもたちに見えたかもしれない。映像が痛ましいのは、ジェームズが危険に向かっていると知らず、少年たちと一緒に歩いているからだ。
行き着いたのはウォルトンの線路付近だった。ジェームズはそこで激しい暴行を受け、殺害された。遺体は線路上に置かれ、列車が通った。発見されたのは2日後。事件の残酷さを伝えるには、これ以上の細部を並べる必要はない。
なぜ英国中が、そして世界が震えたのか
被害者が2歳だったこと。犯人が2人とも10歳だったこと。人目のある場所から連れ出され、長い道のりを歩いていたこと。そして、誰もが目にした防犯カメラの映像。事件は「子どもは守られる存在」という感覚を根底から揺さぶった。
さらに裁判では、犯行時10歳だった2人が、11歳で大人の刑事裁判に近い形式の公開法廷に立った。英国内外の報道が押し寄せ、裁判所の外には敵意を示す群衆が集まった。英国では当時、10歳が刑事責任を問われる年齢の境目だった。社会は、彼らを「保護すべき子ども」と見るのか、「責任を負う殺人犯」と見るのか、答えを迫られた。
1993年11月24日、2人は誘拐と殺人で有罪となった。裁判官は8年を刑罰としての最低期間に推奨したが、判決そのものは期限を定めて自由になるものではなかった。釈放後も生涯にわたり監督を受け、危険があれば収監され得る。裁判官自身、2人のどちらがより大きな責任を負うのか判断できないと記している。
「善悪が分かる」と「なぜ殺した」は、別の問い
犯罪心理を考えるとき、最も知りたくなるのは「何が彼らをそうさせたのか」だろう。だが、ここで分かっていることと、分かっていないことを分けておきたい。
裁判で問われたのは、少年たちが自分たちの行為を悪いことだと理解していたかどうかだった。ヴェナブルズを評価した精神科医スーザン・ベイリーは、彼には母親から幼児を連れ去り、傷つけ、線路に置くことが悪いと分かる能力があったと証言した。一方、診察のたびに激しく泣き、事件について十分に話せなかったとも述べている。トンプソンを評価したアイリーン・ヴィザードも、善悪を判断できたとの見解を示す一方、事件後に強い不安や睡眠・食事の乱れなど、心的外傷の症状があると報告した。
ヴェナブルズを別に評価したアーノン・ベントヴィムは、事件後の強い苦痛や罪悪感、罰への恐怖、感情面の幼さを記録した。ただし、これらは事件後の評価だ。事件を起こした原因を証明する診断ではない。「泣いていたから反省していた」「残酷な行為をしたから生まれつき共感性がない」といった短絡的な結論は、どちらも記録からは導けない。
裁判官は、2人の家庭には社会的・感情的な困難があり、暴力にも触れていたと述べた。しかし、家庭環境や暴力的な映像だけで、なぜこの2人がこの日にジェームズを殺したのかを説明することはできない。どちらが発案し、どちらが主導したのかという単純な筋書きさえ、裁判官は確定しなかった。最も不気味なのは、動機に誰もが納得できる一つの答えが残っていないことだ。
裁判にも残った、もう一つの心理的な逆説
当時の英国は、この事件を知る権利を求めた。だが1999年、欧州人権裁判所は、注目と敵意の渦中に置かれた11歳の被告たちが裁判に十分参加できたとは言えず、公正な裁判を受ける権利が侵害されたと判断した。これは殺人の事実を否定した判断ではない。
精神科医が報告したのは、事件そのものの後の苦痛だけではなかった。公開裁判の圧力が、子どもだった2人の理解や弁護人との意思疎通を難しくしたという問題もあった。凶悪な事件にどう向き合うかを考えるとき、犯人の心理だけでなく、怒りに包まれた社会の判断の仕方まで問われたのである。
2001年に釈放、それでも事件は終わらなかった
ヴェナブルズとトンプソンは2001年、条件付きで釈放された。だがヴェナブルズは2010年、児童の性的虐待画像に関する犯罪で収監され、2013年に再び釈放された後、2017年にも同種の犯罪で収監された。トンプソンのその後の経過と、ヴェナブルズの再犯歴を混同してはいけない。
ここには多くの人が抱く重い疑問がある。後年の児童に関わる性的犯罪は、1993年の殺人とつながっているのか。遺族も、両者に関連があるのかどうかを仮釈放審査で十分に検証してほしいと求めている。しかし、後年の犯罪だけを根拠に、1993年の殺人の動機まで確定したかのように語ることはできない。
2023年、仮釈放審査会はヴェナブルズの釈放を認めなかった。今回の審査でも、焦点は「もう十分に罰を受けたか」だけではなく、いま社会に戻った場合の危険を管理できるかにある。
2026年9月28日、「公開しない」と決まったのは審査の形式
ジェームズの母デニース・ファーガスら遺族は、仮釈放審査を公開するよう求めた。社会が判断の過程を知ることで、憶測を減らし、審査への信頼を高めたいという訴えだ。
しかし9月28日、仮釈放審査会は公開申請を退けた。ヴェナブルズの現在の身元を守る裁判所命令のもとでは、公開しても多くの証拠を伏せる必要があり、かえって不完全な印象を与えかねないという判断だった。この日の決定は、審査を非公開にするというものだ。釈放の決定ではない。
画面に残った、幼いジェームズの最後の道のり。犯人の年齢をめぐる衝撃。そして、心理評価を重ねてもなお埋まらない「なぜ」という空白。33年たったいま問われているのは、10歳だった少年をどう裁いたかだけではない。大人になったヴェナブルズの現在の危険を、誰が、どんな根拠で判断するのか。その答えを待ち続けているのは、何よりジェームズの家族である。










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