女性の権利を勝ち取ったイギリスで、なぜ性暴力を訴える女性は疑われるのか

イギリスは、女性たちが声を上げ、政治や社会を変えてきた歴史を持つ国だ。女性参政権を求めた運動は、その象徴である。

それなのに、女性がレイプや性暴力の被害を訴えると、その言葉より先に、女性自身の態度や私生活が疑われることがある。何をされたのかを聞く前に、なぜ今になって話すのか、どんな女性なのかが問題にされる。

権利を法律に書き込むことと、その権利を行使する女性を社会が尊重することには、いまだ隔たりがある。 被害を訴える女性への不信が残っている現実は、イギリス社会に男性中心の価値観が根付いている表れとして考える必要がある。

歴史を正確に押さえると、イギリスは女性参政権を世界で最初に実現した国ではない。国政選挙で女性の選挙権を認めた先例として、1893年のニュージーランドがある。イギリスでは1918年に、財産要件などを満たす30歳以上の女性に選挙権が認められ、男性と同じ21歳以上という条件になったのは1928年だった。NZ History

ここで注目したいのは、女性たちが既存の制度に異議を唱え、権利を勝ち取ったという点だ。その歴史を誇る社会であれば、現在の女性たちが不平等や暴力について声を上げたときにも、耳を傾ける姿勢が求められる。

ところが、過去に闘った女性は称賛できても、目の前で異議を唱える女性には厳しい、という矛盾が生まれる。過去の運動を記念することは、現在の社会のあり方を変えることより容易だからだ。

女性の身体に関する権利の歴史を見ると、この隔たりはさらに鮮明になる。イングランドとウェールズでは、結婚関係を理由に夫が妻へのレイプについて免責されるという従来の考え方が、1991年の「R v R」判決で否定された。女性が男性と同じ条件で投票できるようになってから、60年以上も後のことである。R v. R _UK_

投票する権利を認めた社会でも、結婚した女性が性的行為を拒否する意思は、長く十分に尊重されてこなかった。この歴史は、ある分野での権利の前進が、女性の生活全体における平等を自動的に実現するわけではないことを示している。

現在の意識にも、問題は残っている。

英国の検察機関CPSが2024年に公表した、英国の成人3,066人を対象とする調査では、「女性がレイプの虚偽申告をすることはまれだ」という説明を正しく認識していた人は36%だった。また、「被害について話すとき、被害者が必ずしも取り乱しているように見えるとは限らない」と認識していた人は26%にとどまった。Official Press Release

残りの人全員が、女性は嘘をつくと回答したわけではない。中間的な回答なども含まれる。それでも、被害を訴える人の言葉や反応を理解するための知識が、十分に共有されていないことは読み取れる。

例えば、被害を訴える女性に対して、泣けば感情的だと受け取り、落ち着いて話せば本当に傷ついているのかと疑う。すぐに話さなかったことを不自然だと決めつける。そうした見方では、女性はどのように振る舞っても、自分の被害を認めてもらうための条件を次々に課されることになる。

CPSの研究も、被害者が必ず抵抗するとは限らず、すぐに警察へ届け出るとは限らないことや、社会が思い描く「本当のレイプ」「被害者らしい反応」という固定観念の問題を指摘している。The Crown Prosecution Service

社会の想像に合う態度を示せなければ、その人の話を真剣に扱わなくてよいのだろうか。被害を経験した人に、周囲が期待する悲しみ方や怒り方まで求めることは、あまりにも酷である。

さらに考えたいのは、女性の訴えを「騒ぐ」と表現する言葉の働きだ。

被害について話すことが騒ぎと受け取られると、問題の中心が、訴えられた暴力から、声を上げた女性へと移ってしまう。女性は、自分に何が起きたのかを説明するだけでなく、なぜ黙っていなかったのかまで弁明しなければならなくなる。

例えば、告発された側の仕事や評判への影響ばかりを心配し、被害を訴える側が失い得る生活、人間関係、安心には十分に目を向けないとすれば、そこには明らかな偏りがある。

ここでいう「男性社会」は、女性の尊厳よりも男性側の体面や立場を優先し、女性には波風を立てずに振る舞うよう求める価値観が、社会の判断に入り込んでいる状態を指している。

その価値観は、女性によっても繰り返され得る。だからこそ、個々の男性の性格だけを論じても解決しない。誰の言葉には最初から信用が与えられ、誰の言葉には最初から疑いが向けられるのか。その判断の偏りを問い直す必要がある。

もちろん、個々の事件の事実認定には、証拠に基づく公正な手続きが欠かせない。被害の訴えを真剣に受け止め、必要な支援を提供することは、告発された人の有罪を先に決めることとは別である。推定無罪を守ることと、被害を訴える人の尊厳を守ることは両立する。

一方で、慎重な判断を口実に、最初から女性の人格を攻撃したり、相談すること自体をためらわせたりしてよいはずもない。公正さは、声を上げた人にも向けられなければならない。

この問題は、世間の反応だけで終わらない。捜査機関がどのように接するかによっても、被害を訴える人が手続きを続けられるかどうかは左右される。

イングランドとウェールズで行われた「Operation Soteria」に関連する2024年公表の被害経験者調査では、警察対応への不信や、支援の不足が報告された。同時に、警察の共感や説明などに改善の兆しも示されている。任意参加の調査であり、全被害者を代表する数字として扱うことはできないが、対応の仕方によって人が支えられも傷つけられもする現実を伝えている。openaccess.city.ac.uk

必要なのは、女性の話し方や私生活から「信用できる被害者」を選別する姿勢を改め、訴えられた行為と関連する証拠を丁寧に調べることだ。それとともに、プライバシーを守り、支援につなぎ、手続きについて説明する。被害を訴えた人が孤立しない仕組みを整える必要がある。

女性の権利を勝ち取った歴史は、現在の社会が平等であることの証明にはならない。その歴史は、今なお残る不平等に向き合う責任を、社会に問いかけるものでもある。

過去に声を上げた女性たちを称賛するのであれば、今、被害について語る女性たちの声にも耳を傾けるべきだ。

女性が権利を持っていると言える社会には、その権利を使ったときに、疑いや侮辱によって沈黙へ押し戻されないことが必要である。イギリスが誇る女性の権利の歴史は、現在の女性の尊厳を守る行動へとつながってこそ、意味を持つ。

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