アメリカのイラン攻撃と「弱国」認識:イギリス視点から見る現実と誤算

2025年初頭、アメリカによる中東における空爆が国際社会に衝撃を与えた。ターゲットは再びイラン。この出来事を受け、多くの国々が懸念を表明する中、イギリスの対応と分析はどこか冷静で計算高いものに見える。なぜイギリスはイランに対して抑制よりも静観を選んだのか。そこには「イラン=弱国」という評価が大きく影響している。

本稿では、イギリスがいかにしてイランを“強国”ではなく“弱国”と見なしているか、その根拠と背景、そしてアメリカの攻撃を容認あるいは是認する論理構造を掘り下げていく。さらに、こうした「過小評価」が今後もたらすかもしれない地政学的リスクについても触れていきたい。


「イラン=弱国」という前提

経済的疲弊と制裁の効果

イラン経済は長らく制裁とインフレに苦しんできた。特に2018年にアメリカが核合意(JCPOA)から一方的に離脱し、再び経済制裁を課して以降、イランのGDPは急落。通貨リアルの価値も暴落し、国民生活は一層困窮している。

イギリスのシンクタンクや外交関係者の間では、このような経済状況をもって「イランはもはや戦争を起こせる国家ではない」という見方が支配的だ。軍事費の対GDP比は高いものの、実際には先端兵器の更新もままならず、経済的持続可能性を著しく欠いている。

軍事力の“見かけ倒し”

イランは中東において自国の影響力を誇示してきたが、その多くは「非対称戦力」に依存している。精密誘導兵器や長距離戦略兵器を本格的に運用するには技術力と資金が必要だが、イランはそのいずれにも欠けている。

ドローンやミサイルは一定の脅威にはなり得るものの、それは地域限定の話であり、アメリカやNATO諸国との全面戦争を想定した場合には「脅威にならない」という評価が多い。イギリス国防省も、過去数回の衝突でイランの軍事的反応が極めて限定的だったことを根拠に、イランの軍事的実行力を高く見積もっていない。


アメリカの戦略とイギリスの黙認

「やられても、やり返されない」という前提

今回のアメリカの攻撃も、根底には「イランは反撃できない」という前提がある。経済的制裁、軍事的限界、そして国内の不安定さがその判断を後押しした。そして実際、イラン政府の初期反応も慎重そのものだった。声明では強い言葉が並ぶものの、具体的な軍事行動には至っていない。

イギリス政府はこの動きを事前に把握していた可能性が高い。諜報機関を通じた情報共有のもと、アメリカの動きを黙認した。公式な声明でも、「事態のエスカレーションは望まない」と述べるにとどまり、アメリカ批判を控えている。

同盟国の論理と“選別的支援”

イギリスはアメリカとの「特別な関係」を背景に、対イラン政策において常に慎重な立場を取ってきた。だが慎重とはいえ、イランへの明確な擁護や中立的な姿勢を取ったことは一度もない。むしろ「弱い相手には強い圧力を加えても反発は限定的で済む」という、冷徹な現実主義が外交の根底にある。

アメリカがイランを攻撃しても、「イランはそれに見合う報復能力も、国際的な支持も持ち合わせていない」という読みが、イギリスを含む西側諸国の共通認識になっている節がある。


イランの反撃能力とその限界

宗教的威圧 vs 現実的抑制

イランはしばしば宗教的理念や殉教思想を前面に出すことで、強硬姿勢を演出してきた。だがその一方で、過去の実例を見れば報復は極めて限定的で、慎重な政治判断が常に優先されてきた。これは軍部と宗教指導部の間に潜む対立や、国民の戦争疲れによる世論の抑制も影響している。

イギリスにとっては、これは大きな安心材料だ。すなわち、イランは見かけほど危険ではなく、突発的な全面戦争に発展するリスクは低い。こうした分析は、外交政策の舵取りにおいて極めて重要な役割を果たしている。


見誤る可能性と将来の火種

弱者の反撃という誤算

しかしながら、「弱国=安全」という発想は時に危険でもある。歴史を紐解けば、絶望的な立場に追い込まれた国家が、逆に予測不能な行動に出ることも少なくなかった。日本の真珠湾攻撃や、ロシアによるクリミア併合など、「やるはずがない」が「やった」例は枚挙にいとまがない。

もしイランが「ここまでやられても西側諸国は介入しない」と判断し、中東地域での代理戦争を激化させれば、それは結果的にイギリスにも火の粉が及ぶ展開となりかねない。

民意と反米感情の連鎖

さらに見逃せないのは、イランの国民レベルでの「対西側憎悪」の蓄積だ。経済制裁による生活苦、報復できない屈辱、そして孤立感。こうした感情は時に急進的な行動に火をつける。もし革命的な変化や体制変革が国内で起きた場合、その怒りの矛先は確実にアメリカとその同盟国にも向けられるだろう。


結語:「弱国」だからこそ、慎重な対応を

イギリスの外交戦略は常に冷静で、現実主義的だ。しかし、現実主義が過信や油断に変わったとき、国際政治は思わぬ方向へ動く。イランを「戦争を起こせない弱国」とみなす視点は、一見合理的だが、同時に危うさも孕んでいる。

アメリカの攻撃が今後さらにエスカレートした場合、イランの「弱者の反撃」は想定外の形で現れる可能性もある。イギリスが本当に求めるべきは、一時的な勝利ではなく、長期的な安定だ。

“弱いから叩いてもいい”という理屈は、国際秩序の正当性を自ら傷つけることにもなりかねない。だからこそ、今こそ「弱国」への理解と対話が必要なのではないだろうか。

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