イギリス人にとってアジア人とは誰なのか? ― 文化と味覚の境界線を問う

はじめに:この問いが浮かぶ背景

「イギリス人には日本人と中国人の区別がついているのか?」という問いは、単なるルックスの識別能力を問うだけのものではない。そこには文化的理解、歴史的背景、ステレオタイプ、そして国際社会の中での認識のズレといった、より深層的な要素が関わっている。さらに、「イギリスで食べる中華料理の方が中国で食べる中華料理より美味しい」と語るイギリス人の言葉には、食文化への理解や味覚の多様性、そしてある種の植民地主義的な態度さえも見え隠れする。

本稿では、この2つの問いを軸に、イギリス社会におけるアジア人の認識、文化的アイデンティティ、そして食文化の輸出入のあり方を紐解いていきたい。

第一章:イギリス人は日本人と中国人を区別できるのか?

表面的な混同:アジア人=中国人?

まずは率直に言ってしまおう。多くのイギリス人(とりわけアジア諸国に深い関心がない層)は、日本人・中国人・韓国人といった東アジア人を見分けるのが難しいと感じている。これは、視覚的な類似点に加え、言語、文化、歴史に対する知識が乏しいことが大きな原因だ。

たとえば、ロンドンの街中で「Where are you from? China?」と聞かれる経験をした日本人は少なくない。これは決して悪意から来る質問ではないが、無意識のうちに「アジア人=中国人」という認識が根強く存在していることを示している。

知識層とマス層の違い

しかし一方で、教育水準が高い人や日本文化に興味を持つ層、たとえばアニメや日本食に親しんでいる若者の間では、日本と中国の違いを理解している人も確実に存在する。イギリスの大学では東アジア研究が盛んであり、日本語を学ぶ学生も一定数いる。

つまり、「区別がつくかどうか」はイギリス人全体に対して一括りに語れる問題ではなく、知識や関心の度合いによって大きく差がある。むしろ、アジア人全体を単一のカテゴリで見る傾向こそが、より根深い課題と言える。

第二章:文化の“再構築”としての中華料理

英国式中華料理とは何か

イギリスで中華料理を食べたことがある人は分かるだろうが、それは中国で食べる本場の中華料理とは大きく異なる。「Sweet and Sour Chicken(酢豚風の甘酸っぱいチキン)」「Crispy Aromatic Duck(北京ダック風のローストダック)」など、イギリス式中華料理は、ローカライズ(現地化)された料理であり、厳密には「中国料理の英国解釈版」と言うべきものである。

味覚の相対性と「うまい」の基準

ここで面白いのは、ある種のイギリス人が「イギリスの中華料理の方が、中国の中華料理よりうまい」と平然と言うことだ。これは決して誇張ではない。彼らにとって「うまい」とは、「慣れ親しんだ味」「胃に優しい味」「馴染みのある食材」を意味することが多い。つまり、彼らの言う「うまい」は、必ずしも料理の本来の品質や伝統的な技術とは関係がないのだ。

たとえば、本場の四川料理のような、唐辛子や花椒の刺激が強い料理は、イギリス人にとっては「too spicy(辛すぎる)」とされ、むしろ食べにくいと感じられる。これに対して、砂糖やケチャップ、醤油を多用した英国式チャイニーズの方が「うまい」と評価されてしまう。

第三章:味覚の植民地主義?

「改良」という名の暴力

イギリスにおける中華料理は、しばしば「イギリス人向けに改良された」ものとして語られる。この“改良”という言葉には、どこか無意識の優越感が見え隠れする。「本場の料理は野蛮で粗野だが、我々が手を加えることで洗練された」という構図である。

これは、かつてイギリスが多くの植民地で現地文化を「文明化」しようとした姿勢とどこか通じるものがある。つまり、食文化のローカライズには、単なる味の調整以上の意味があるのだ。

「文化の輸入」か「文化の消費」か

イギリスにおいて中華料理は、もはや一種のポップカルチャーである。スーパーマーケットではレディメイドのチャーハンやスイートチリソースが並び、パブでも「チャイニーズ・ナイト」が開催される。この状況は、文化の“輸入”というよりも“消費”であり、深い理解というよりは、表層的な娯楽としての消費に近い。

第四章:日本食の扱われ方との対比

なぜ日本食は「洗練」とされるのか?

中華料理に比べ、日本食(とくに寿司やラーメン)はイギリスで「ヘルシー」「クリーン」「洗練された」というイメージで扱われることが多い。これは日本のソフトパワー、すなわちアニメ・禅・茶道・ミニマリズムといった文化的パッケージが影響している。

このような背景のもと、日本人であることを明かすと、「え、日本人?すごい、寿司作れるの?」といった、ややステレオタイプ的だが好意的な反応が返ってくることも多い。一方で、中国人であると認識されると、「ああ、チャイナタウンで働いてるの?」というような、やや画一的なイメージが投影されることも少なくない。

第五章:では、我々はどうすべきか?

自分たちの文化を語る責任

イギリス社会において、日本人である、あるいはアジア人であるという立場は、時にステレオタイプの対象となりやすい。しかし、だからこそ我々には、自分たちの文化を正確に、そして誇りをもって語る責任がある。区別がつかないなら、教えればいい。間違った「うまさ」評価があるなら、それを問い直せばいい。

食を通じた対話の可能性

食というのは、国境を越えて人と人をつなぐ最もシンプルな手段だ。イギリスで本格的な中華料理や日本料理を提供することで、「本当の味」に触れてもらう機会は増えている。また、イギリス人の中にも、ロンドンの中華街やジャパンセンターで本物の味を探し求める人が確実に増えている。

つまり、誤解や無理解をただ嘆くのではなく、それをチャンスに変えていくことが、今のグローバル社会では求められている。

終わりに:イギリス人の中の“アジア”を問い直す

「イギリス人は日本人と中国人の区別がつくのか?」「イギリスの中華料理は中国よりうまいのか?」という問いは、一見すると軽妙な疑問に思える。しかしその背後には、文化と文化が交差する場所で生まれる誤解と再発見、アイデンティティとイメージの複雑な絡み合いがある。

私たちがすべきことは、これらの問いに単純な答えを与えることではなく、その問いの背後にある構造を見つめ、語り、共有することだ。そして、その過程こそが、異なる文化が真に理解しあう第一歩なのだろう。