イスラエル・ガザ戦争、ロシア・ウクライナ戦争が続く中で、イギリス社会に広がる議論は必ずしも「戦争をどう終わらせるか」に焦点を当てていない。むしろ、アメリカ前大統領ドナルド・トランプに対する嫌悪感が目立つ。彼が「自分なら戦争を終わらせられる」と豪語するたびに、イギリス国内では「また大言壮語だ」と冷笑や不快感が先立つ。 特に女性の一部からは「生理的に受け付けない」という意見すら聞かれる。つまり「誰が戦争を止めるのか」より「トランプが嫌いだから信用しない」という感情が優先されてしまっているのだ。だが本来、目的は戦争をどう終結させ、平和を築くかにあるはずであり、個人への好悪に論点がすり替わるのは危うい。 一方で、男性層の多くはより現実的な視点を持っている。「戦争が終わり、物価上昇が落ち着き、不況から脱却できるなら手段は問わない」と考える人は少なくない。生活を安定させることが第一であり、トランプであろうと誰であろうと結果が出せれば構わないという冷徹な声である。 現政権の姿勢と国民の苛立ち その中で、キア・スターマー首相率いる労働党政権は国民の不満を和らげるどころか逆に募らせている。軍事費の増強を打ち出し「戦争に備える」姿勢を示しているが、肝心の戦争終結や生活安定に向けた具体策は見えてこない。むしろ、国民が強く反対する政策を戦争の影で推し進めているという印象が強まり、首相自身の器の小ささや不誠実さを指摘する声が増えている。 就任当初は高い支持を集めたものの、その後の支持率は急落した。総選挙で圧勝した直後には4割近くあった支持が、1年足らずで3割を大きく割り込み、20%台半ばまで落ち込んでいる。これは過去数十年のイギリス政治においても異例の速さでの支持低下であり、失望の深さを物語っている。 支持率下落の背景 支持低下の背景にはいくつかの要因がある。第一に、国民生活の困窮である。物価高は依然として続き、庶民の暮らしを直撃しているが、政府は経済成長や公共サービス改善を強調するばかりで、実感に乏しい。国民の目には「自分たちの声を聞いていない政権」と映っている。 第二に、スターマー首相の外交志向である。国際舞台での存在感を高めようとする動きは見えるが、国内の課題が置き去りにされているという不満が募っている。結果として「国民よりも国際社会に目を向けている」との印象が強まり、信頼を損なっている。 第三に、代替勢力の台頭である。改革党や新たな左派勢力に支持が流れ、労働党の支持基盤が揺らいでいる。特に若い世代では、スターマーよりも前党首ジェレミー・コービンへの支持が根強く、労働党離れが鮮明だ。 総括 いまイギリス国内で必要なのは、「誰が嫌いか」ではなく「誰が戦争を止められるのか」「誰が生活を守れるのか」という冷静な視点である。トランプを嘲笑しても戦争は終わらないし、スターマーが軍備を増強しても生活は楽にならない。 現政権は支持率急落の危機に直面しているが、それは偶然ではなく、国民生活への無関心と戦争終結への具体策欠如の結果だ。スターマーが信頼を回復するには、外交パフォーマンスではなく、国内の生活改善に直結する具体的成果を示すしかない。 イギリス社会が感情やイメージに振り回されることなく、冷静に「平和」と「生活安定」という核心に立ち返ることができるかどうか。それが、この国の未来を左右する分岐点になっている。
Category:戦争
イギリス、日本、台湾:安全保障体制の違いと「犠牲になる国」の可能性
世界が不安定さを増す中、次に大規模な戦争に巻き込まれる国はどこか──。この問いは決して空想ではなく、イスラエルによるガザ攻撃、ロシアのウクライナ侵攻といった現実の戦争を見れば、常に現実味を帯びています。戦争において「全滅させられるほどの軍事力」があっても、実際にはそうしない理由があります。それは 報復の恐怖 です。攻撃によって周辺諸国や同盟国を敵に回すことは、自らの国家存続を危険にさらすためです。 この視点から見ると、どの国が「報復の傘」に守られており、どの国が「孤立しているのか」を比較することは、将来の戦争の標的を予測するうえで非常に重要です。ここではイギリス、日本、台湾を例に、その立場の違いを整理していきます。 イギリス:NATOと国連常任理事国という最強の後ろ盾 イギリスは島国であり、日本と地理的には似ています。しかし安全保障体制は圧倒的に強固です。 このため、イギリスは「攻撃されにくい国」の代表例といえるでしょう。 日本:日米同盟に依存する脆さ 日本は国連加盟国ですが、国連には 加盟国を自動的に守る義務は存在しません。安保理での決議が必要であり、米・露・中・英・仏の常任理事国の利害が一致しなければ軍事行動は不可能です。したがって、国連加盟は外交的には意味があっても、軍事的抑止力にはなりません。 現実的に日本を守る柱は 日米安全保障条約 です。アメリカは日本が攻撃を受ければ共同防衛にあたる義務を負っています。これは確かに大きな抑止力ではありますが、不安要素も見逃せません。 つまり、日本は「アメリカの政治状況に強く依存している」ため、完全な安心感を持つことはできないのです。 台湾:国際社会で最も孤立する危うさ 台湾はさらに厳しい立場に置かれています。 さらに、台湾は地理的に中国本土と近く、補給線や国際的な援軍の派遣も困難であるため、現実的な軍事リスクは日本以上に大きいといえます。 結論:次に犠牲になる可能性が高いのは日本と台湾 比較すると、 この構図から見えてくるのは、報復の恐怖を与えにくい「孤立した国」ほど標的になりやすいという事実です。 その条件に最も当てはまるのは、地政学的に孤立し、集団防衛体制を持たない 日本と台湾 です。イギリスが安全保障面で「攻撃されにくい国」の典型である一方、日本と台湾は「犠牲になりやすい国」の代表例といえるでしょう。
戦争が奪ったものと、イギリスの平和への歩み、そして加担の現実
戦争は人々から多くのものを奪う。命、家族、友人、そして安心して暮らせる日常――それらは一度失われれば簡単には戻らない。第二次世界大戦においても、その悲劇は世界各地に及んだ。日本の仁保人だけでなく、イギリスの人々もまた甚大な被害を受けたのである。 イギリスが第二次世界大戦で被った被害 第二次世界大戦中、イギリスはドイツ空軍による激しい空襲、いわゆる「ブリッツ」に晒された。1940年から41年にかけて、ロンドンをはじめとする大都市は繰り返し爆撃を受け、一般市民を巻き込む甚大な被害が生じた。ロンドンでは街区ごと焼け落ち、多くの家庭が一夜にして瓦礫と化した。約4万3千人以上の市民が空襲によって命を落とし、さらに数十万人が負傷し、何百万もの人々が家を失ったといわれている。 その痛みは戦場に赴いた兵士だけのものではなかった。子どもたちは地方へ疎開させられ、親と引き離された生活を余儀なくされた。家族の再会は保証されず、戦争の影は日常のすべてに差し込んでいたのである。 平和を築くためのイギリスの取り組み こうした過去の犠牲の上に、イギリスは戦後「二度と同じ過ちを繰り返さない」という誓いを胸に歩みを進めてきた。戦争直後には国際協力を重視し、国際連合の創設に大きく関与した。イギリスは安保理常任理事国の一員として、紛争の防止や人権の保護、国際平和の維持に積極的に取り組んでいる。 国内においても、戦争体験を風化させない努力が続けられている。戦没者追悼の日である「リメンブランス・デー」では、国中で黙祷が捧げられ、犠牲者の記憶を未来へと伝える。学校教育においても戦争の歴史を学び、若い世代に平和の大切さを教え続けている。さらに、戦争や迫害から逃れてきた難民の受け入れや、人道支援活動への貢献など、グローバルな課題への対応も平和構築の一環として進められている。 それでも戦争に加担するイギリスの意図と目的 しかし、ここで忘れてはならないのは、イギリスが「平和を望む国」でありながらも、同時に「戦争に加担する国」でもあるという現実である。過去から現在に至るまで、イギリスは多くの軍事介入や戦争に関わってきた。 その背景にはいくつかの要因がある。 真の平和を目指して 戦争は人々から奪い去るだけで、新たな価値を生み出すことはない。イギリスが受けた被害も、その痛みの深さも、日本と同じように忘れることのできない歴史である。しかし同時に、その苦難を経て人々は「平和」という目標を一層強く心に刻んだ。 ただし、その一方で、現実の国際政治の中でイギリスは理想と現実の狭間に立たされ続けている。平和を語りながら軍事力に依存し、犠牲を悼みながらも新たな戦火に関与する――その矛盾こそが、現代イギリスの姿でもある。 重要なのは、その矛盾を直視し続けることだろう。過去の犠牲を無駄にせず、真の平和を実現するためには、国益や同盟関係だけでなく、人類全体の安全と尊厳を基盤にした行動が求められている。イギリスの歩みは、その困難な挑戦の一例として、世界に問いを投げかけ続けているのだ。
「終戦日」という多面性――国ごとに異なる歴史認識と戦争の記憶
第二次世界大戦の「終戦日」は、実は国ごとに異なっている。日本では天皇の玉音放送が行われた1945年8月15日が「終戦の日」として広く知られている。一方、世界的には日本が降伏文書に正式に調印した9月2日が戦争終結の日とされる。また、イギリスやアメリカなどでは日本がポツダム宣言を受諾する意向を示した8月14日を「VJ Day(Victory over Japan Day)」として記念している。同じ戦争に「第二次世界大戦」という統一された名称が付けられているにもかかわらず、終戦日が各国で異なるという事実は、歴史の記憶の多様性を象徴していると言えるだろう。 この差異は単なる日付の違いにとどまらない。そこには「誰の視点で戦争を見ているか」という大きな問題が横たわっている。戦争は国際的な出来事であるがゆえに、加害者・被害者・第三者といった立場が複雑に絡み合う。そのため、戦争をどう記憶し、どのように教育するかは、各国の歴史観や国民感情、さらには政治的思惑にまで影響を受ける。 日本では「敗戦」と「終戦」が意図的に言い分けられ、8月15日を「平和への転換点」として記憶する傾向が強い。アメリカやイギリスでは「勝利の日」として祝われ、戦争の終結は「正義が達成された瞬間」と捉えられている。一方、アジア諸国の中には日本による侵略の記憶が色濃く残り、戦争の終結は「解放の日」として意味づけられている。つまり、同じ出来事であっても、それをどう語り継ぐかは立場によって全く異なるのである。 ここに大きな違和感を覚えるのは当然だろう。なぜなら、歴史は本来一つの「事実」を基盤としているはずなのに、その受け止め方は無数に分岐しているからだ。加害者でありながらその自覚を持たない国もあれば、被害を受けていながら「被害者意識」をあまり前面に出さない国もある。戦争は当事者それぞれの都合や論理によって再構成され、教育や記念行事を通じて「国民の記憶」として定着していく。そうした過程で、普遍的な「真実」は見えにくくなってしまう。 そして、この「歴史認識の断絶」こそが、人類が戦争を繰り返す大きな要因の一つではないだろうか。加害の自覚がなければ再び同じ過ちを犯す危険があり、被害の記憶を一方的に強調すれば、和解や共存の道を閉ざしてしまう。第三者はしばしば「中立」を装うが、その沈黙もまた新たな不正義を生み出しかねない。戦争の記憶とは、加害と被害の意識のバランスの上に成り立つ極めて脆いものなのである。 「戦争はなぜ繰り返されるのか」という問いに対する答えは単純ではない。しかし、少なくとも言えるのは、戦争が単なる歴史的事実ではなく「記憶の対立」として現在にも影響を及ぼしているということだ。終戦日の違いは、その象徴にほかならない。私たちが過去から学ぶべきは、勝者や敗者といった立場を超え、互いの記憶の差異を認め合い、理解しようとする姿勢なのではないだろうか。歴史に多様な「終戦日」が存在するのは矛盾ではなく、むしろ「戦争の複雑さ」と「人間の記憶の多面性」を映し出す鏡なのかもしれない。
イギリス人が考える戦争論――勝者なき連鎖の中で
はじめに 人類の歴史を紐解くと、そこには絶え間なく戦争の影が落ちている。戦争は国家の興亡を決し、領土を塗り替え、文明の行く末を変えてきた。しかし、果たして戦争に「勝者」は存在するのだろうか。 イギリスという国は、その長い歴史の中で多くの戦争を経験してきた。100年戦争、ナポレオン戦争、第一次・第二次世界大戦、フォークランド紛争、そして現在に至るまで、直接的・間接的に様々な戦いに関与してきた。その中で形成された「イギリス人の戦争観」は、勝者と敗者の単純な二元論では語りきれない、もっと深く複雑な哲学的視座を内包している。 この論考では、「戦争に正式な勝者はいない。たとえその国が一時的に滅びても、どこかで生き残った同胞が時を経て復讐し、また戦争が始まる。そしてまたどこかの国が滅びる。その繰り返しの中で、最も苦しむのは常に一般市民である」という視点から、イギリス的戦争論を考察していく。 1. イギリス史に見る戦争と記憶の連鎖 1.1 経験としての戦争 イギリスは「島国」であるがゆえに、地理的には大陸国家ほど頻繁に侵略されてはいない。しかしその一方で、イギリスは常に「他国の戦争」に介入し、また自らも植民地帝国として世界中の戦争を引き起こしてきた。彼らにとって、戦争とは遠くの世界の話ではなく、国家のアイデンティティと密接に結びついた「経験」そのものである。 1.2 「勝った」とは何か? イギリスは第二次世界大戦に「勝った」側に属している。だが、勝利の代償はあまりに大きかった。空襲で焼け落ちたロンドン、兵士として送り出された若者たちの喪失、経済的破綻、そして「大英帝国」の終焉。チャーチルは確かにヒトラーを打ち倒すために立ち上がったが、戦後のイギリスは、もはや世界を支配する超大国ではなかった。 このような体験から、イギリス人の間には「戦争に勝っても、それは本当の意味での勝利ではない」という認識が根を下ろしていった。 2. 復讐と報復の連鎖 2.1 歴史は繰り返す 戦争が終わった直後は、たしかに平和が訪れる。しかしその平和は、かつての敗者が悔しさを胸に秘め、復讐の機会を待ち続ける「潜在的戦争状態」に過ぎないことが多い。 第一次世界大戦の敗北国ドイツは、ヴェルサイユ条約という屈辱的な和平の中で、国民の誇りを奪われた。その憎しみと屈辱が、ナチス・ドイツという復讐の塊となって再び火を噴いたことは、歴史の証言である。 イギリス人はこのような歴史の循環に対して、ある種の冷笑的な諦念を持っている。「戦争は終わらない。ただ時間が空く。そしてその間に、次の戦争の芽が育つだけだ」と。 2.2 帝国の記憶、植民地の怒り イギリスがかつて築いた植民地帝国の影も、この「復讐と報復」の論理に当てはまる。インド、アイルランド、中東、アフリカ。イギリスによって統治され、抑圧された人々の記憶は、国家の独立を勝ち取った後も「植民者への憎しみ」として引き継がれている。 現代の国際政治においても、テロや地域紛争の根には、こうした植民地支配の記憶が色濃く残っている。イギリス人は、かつての「帝国の栄光」が、同時に未来への「報復の種」でもあることをよく知っているのだ。 3. 一般市民こそ最大の犠牲者 3.1 軍人ではなく、民間人が死ぬ時代 かつての戦争は、軍隊同士の「戦場」での戦いだった。しかし現代の戦争では、空爆、テロ、経済制裁、ハイブリッド戦争といった新しい形が主流になっており、最も犠牲になるのは一般市民である。 第二次世界大戦中のロンドン大空襲、現代のガザ紛争、ウクライナ侵攻。どの戦争を取っても、民間人の死者は膨大な数にのぼる。食料や水が絶たれ、日常が破壊され、未来を持っていたはずの子供たちが命を落とす。 イギリス人の多くは、戦争の最も悲劇的な側面がこの「市民の犠牲」であることを痛感している。そしてその犠牲がまた、新たな憎しみと報復の連鎖を生む温床となる。 3.2 メディアと戦争の感情 イギリスのメディアは、戦争に対して常に「二重の視点」を持って報道している。一方で国益を守るための「正義の戦争」として描く一方、もう一方では被害を受ける市民への共感と人道的懸念を伝える。 このような情報の重層性は、イギリス人の戦争観に深い複雑性を与えている。勝ったはずの戦争にも、常に「哀しみ」が残る。負けた国だけが不幸なのではなく、勝った国もまた、癒えない傷を抱え続ける。 4. 「戦争に勝者はいない」という哲学 4.1 栄光の陰にある無意味さ イギリスの詩人ウィルフレッド・オーウェンは、第一次世界大戦に従軍し、戦場で命を落とした若き詩人である。彼の詩「Dulce et Decorum est」は、戦争の栄光を称える古代ローマの言葉に対して、次のように反駁する。 It is a lie to say, “It is sweet and fitting to …
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遠くから投げられる石:ガザをめぐる「冷酷」の連鎖と、その先にあるもの
序章:「冷酷」という言葉が飛び交う中で ガザの地で、子供たちが命を落とし、家族を失い、飢えと恐怖に晒されながら生き延びている。「人道支援が届かない」「病院が機能しない」「水も電気もない」といったニュースが連日流れてくる。そんな凄惨な現実を、世界は画面越しに「鑑賞」している。 あるイギリスのニュース番組では、ガザを封鎖するイスラエルの強硬姿勢が「冷酷だ」と非難されていた。そしてそのニュースを、さらに多くのイギリス人がテレビやSNSで見て、「イスラエルは残酷だ」と批判を口にしている。 だが、私はふと思ったのだ。本当に「冷酷」なのは誰なのか? 第1章:対岸の火事、という無意識な傍観 「対岸の火事」という言葉がある。これは、他人の不幸や困難をまるで自分には関係のないものとして眺める姿勢を示す言葉だ。 ガザとイスラエルの対立を、ロンドンのカフェでコーヒーを飲みながら批判できる者。X(旧Twitter)で「#FreePalestine」とハッシュタグを付けて投稿することで満足する者。あるいは、何も言わず、ただ無関心にスクロールし続ける者。 こうした人々は、ガザにミサイルが降り注ぐ瞬間、イスラエルの子供がロケット弾のアラートで地下に逃げ込むその瞬間に、ソファに座りながらポテトチップスをつまんでいる。 どこかで命が奪われているという現実に対し、私たちはどれだけ本気で「向き合っている」と言えるだろうか。 第2章:イスラエルの「高みの見物」への視線 確かに、イスラエル国内の一部には、ガザで起きていることを「当然の報復」と見なす者がいる。極端な右派は「ガザを地図から消せ」とさえ言う。 しかし、全てのイスラエル人がそうではない。毎週のように平和を訴えるデモに参加しているイスラエル人もいれば、パレスチナ人の命を救おうとする医療従事者もいる。そうした声は、国際メディアにはあまり届かない。 イギリス人ジャーナリストが「イスラエルは非人道的だ」と書いた記事を読みながら、ふと私はこう思った。「それを安全な土地から言うのは簡単ではないか?」 第3章:イギリスという「安全圏」からの批判の構造 イギリスは確かに戦火から遠い。爆撃の音は聞こえず、空爆の心配もない。日常が普通に営まれ、インフレや選挙、スポーツの話題が人々の関心をさらっていく。 そんな中で、イスラエルを一方的に非難することは簡単だ。なぜなら、それは「正しそう」に見えるからだ。道徳的優位に立ち、「戦争反対」「子供を守れ」と唱えれば、拍手喝采がもらえる構造がある。 しかし、その批判は本当にガザの人々に寄り添っているのだろうか?本当に声を届けたい相手は誰なのか? もしかすると、それは**「正しさを消費したい自分自身の欲求」**にすぎないのではないか? 第4章:ガザの「今この瞬間」にある現実 2025年の今も、ガザでは医療インフラが崩壊し、数十万人が避難生活を余儀なくされている。10歳にも満たない子どもたちが、爆音で目を覚まし、両親の死を受け入れざるを得ない日常を生きている。 そしてその隣に、武装した兵士や、ドローンで監視する目がある。さらには、イスラエル国内の一部では花火が上がり、「やったぞ」と歓声を上げる群衆もいる。まさに**「高みの見物」**と批判したくなる状況だ。 だがそれを見て、「なんて残酷な民族だ」と言ってしまうイギリス人がいたとしたら、それは表面的な理解でしかない。戦争の構造、国家の歴史、宗教的な衝突、占領政策、ハマスの支配体制、こうした複雑な要素を一つの視点で切り取ることの危険性を、私たちは忘れてはならない。 第5章:「見るだけ」の私たちの冷酷さ テレビやSNSを通じて、ガザでの悲劇を「見るだけ」で終えてしまう私たち。その場に行くわけでもなく、寄付をするわけでもなく、ただ「かわいそう」と感じて満足している。その一方で、イスラエル側だけを悪者にして安心する。 この構造に、私は強い違和感を抱く。 「見るだけ」で何も動かないということは、つまり、見殺しにしているということだ。それは、「冷酷」ではないのか?自分の手を汚さず、傷つかず、リスクを負わず、他人の悲劇を言葉だけで消費する私たちは、「冷酷」と呼ばれるに値しないのか? 終章:私たちにできることは「批判」ではなく「関与」 戦争は残酷だ。誰が正しい、誰が悪い、という単純な構図では測れない。ただ一つ確かなのは、「苦しんでいる人が今この瞬間にもいる」という事実だ。 そして、私たちにできることは、「誰かを冷酷と批判すること」ではなく、「自分が冷酷にならないように、関与すること」ではないだろうか。 寄付をすること。教育に関心を持つこと。選挙で中東政策を問うこと。現地の声を直接聞こうと努力すること。批判するよりも、耳を傾けること。 それは小さな一歩かもしれない。だが、**冷酷さとは「何もしないこと」**なのだ。だったら、まずは自分が「何かをする人間」になりたい。 まとめ 「冷酷だ」と誰かを指差す前に、自分自身の中にある冷酷さと向き合わなければならない。遠くから石を投げるのではなく、目をそらさず、関与し続ける。その積み重ねこそが、ガザで苦しむ子どもたちにとっての、たった一筋の希望かもしれないのだ。
イギリス人が考える平和とは?― 日本人との違いと“敗戦を知らない国民”の視点から考える
はじめに:平和はどこから来て、誰が守るのか? 現代に生きる私たちが「平和」と聞いたとき、何を思い浮かべるでしょうか?穏やかな日常。戦争のない世界。豊かな経済。自由な発言や思想。しかし、こうした「平和」の定義は、国や文化、そして歴史によって大きく異なる場合があります。 とりわけ、日本とイギリス。この二国は第二次世界大戦を巡って“敵同士”だった歴史を持ちますが、戦後80年近く経った今では、互いに友好関係を築き、国際社会の中で「平和国家」としての地位を確立しています。 では、「イギリス人が考える平和」と「日本人が考える平和」は同じものなのでしょうか?また、「敗戦を経験していない国民」が考える平和とは、一体どのようなものなのでしょうか? 今回は、こうした疑問に答える形で、イギリス人の「平和観」を探りつつ、日本との比較や歴史的背景を交えて考察していきたいと思います。 第1章:イギリス人にとっての「平和」とは? 1-1 歴史と共に歩む国の視点 イギリスは、長い歴史の中で世界をリードする大英帝国を築きました。アフリカ、アジア、オセアニア、カリブなど多くの地域を植民地として支配し、常に国際政治の中心にありました。イギリス人にとって、「国を守る」「影響力を持つ」「秩序を維持する」といったことは、単なる防衛ではなく「平和を作る」行為として認識されてきました。 つまり、彼らにとっての平和とは「力の均衡の上に成り立つもの」なのです。 これは、冷戦期にイギリスがアメリカと共にNATOの中核を担い、核兵器を保持し続けた事実にも表れています。平和とは、話し合いや理想主義によって得られるものではなく、時に「戦う意思を見せることで維持される」ものという考えが根底にあるのです。 1-2 “戦争の記憶”と“勝者の記憶” 第二次世界大戦において、イギリスはナチス・ドイツの空襲に晒され、多大な被害を受けましたが、「敗戦」は経験していません。それどころか、チャーチル首相のもと、連合国の勝利の立役者として名を馳せ、「自由と民主主義の守護者」という自負を育んできました。 この「勝者の記憶」は、戦争に対する意識にも影響しています。イギリスでは、毎年11月に「リメンブランス・デー(追悼の日)」があり、戦争で亡くなった兵士たちに哀悼の意を表します。しかしそこには「戦争の悲惨さ」に加えて、「祖国のために戦った誇り」も含まれています。 つまり、「平和」は「過去の犠牲の上に成り立つ、努力の成果」という意識が強くあるのです。 第2章:日本人にとっての「平和」とは? 2-1 「戦争は悪」という絶対的価値観 日本は、第二次世界大戦で敗戦国となり、東京大空襲、広島・長崎の原爆など、圧倒的な被害を受けました。その後、アメリカの占領下で非軍事化が進み、憲法第9条によって「戦争の放棄」「戦力の不保持」が明記されます。 この歴史的背景が、日本人の平和観に大きな影響を与えました。 「戦争は絶対悪」「平和とは、戦わないこと」という意識が強く、戦争や軍事行動に対して極端に敏感になったのです。そのため、自衛隊の海外派遣や、防衛費の増額といった話題にも、常に議論が巻き起こります。 2-2 「加害と被害」の記憶 日本は同時に、アジア諸国に対して加害者でもありました。しかし、国内ではその側面よりも「被害者としての日本」が強調されがちです。これは、「戦争を繰り返さないためには、二度と軍事に関わらないことが必要」という意識をさらに強固にしてきました。 つまり、日本における「平和」は、反省と赦し、そして徹底的な非武装の上に築かれた「静的な平和観」と言えるかもしれません。 第3章:「敗戦を知らない国民」の平和とは? イギリスのように、近代において国土が占領されず、「敗戦」を経験していない国民は、自国の力を信じ、必要であれば「武力による平和の確保」も容認する傾向があります。 例えば、アメリカやフランス、イギリスなどの旧列強国家は、軍事力の保持と行使を「国際的責任」として位置づけることが多く、「平和のための介入」という論理をよく使います。 イギリス人にとって、軍人とは「英雄」であり、「国家のために働く誇り高き職業」です。これは日本のように「軍人=戦争の象徴」という見方とは根本的に異なります。 第4章:二つの平和観のすれ違いと交差点 4-1 理想と現実のはざまで 日本の「平和を守るには戦わないことが重要」という理想主義的な視点と、イギリスの「平和を維持するには時に戦う覚悟が必要」という現実主義的な視点。この二つは、しばしば国際的な議論の中で衝突することがあります。 しかし近年、国際テロ、ウクライナ侵攻、台湾海峡問題など、平和の脅威は「戦争の有無」だけで語れないものになってきました。そうした中で、日本でも「抑止力としての防衛力」が再評価されつつあります。 4-2 共通点は“平和を望む心” ただし、両国に共通するのは、「平和を望む気持ちは誰しもが持っている」という点です。その手段や前提条件が異なるだけで、平和の重要性を疑う人はいません。 どちらの国も、戦争の記憶を糧にしながら、次の世代に「平和の価値」をどう伝えるかに真剣に向き合っているのです。 おわりに:今、私たちが考えるべき平和とは? イギリス人にとっての平和とは、「守り、勝ち取り、維持するもの」。日本人にとっての平和とは、「守られ、与えられ、失わないようにするもの」。 この違いは、単なる思想の違いではなく、それぞれの歴史と経験の違いから生まれた「平和へのアプローチ」の差です。 しかし、世界が多極化し、価値観が揺らぎ始めた今こそ、異なる視点を理解し合うことが大切なのではないでしょうか。 私たちは、過去の教訓から目を背けることなく、しかし未来の現実とも向き合いながら、新しい「平和のかたち」を模索していく必要があるのかもしれません。
戦争は正義じゃなく、結局「カネ」で動いてるって話
こんにちは、今日はちょっと重い話をします。今、世界中のニュースを騒がせているイスラエルとイランの軍事衝突。SNSでもニュースでも「どっちが悪い」「正義はどこにある」みたいな議論が溢れていますよね。 でも、僕はこう思うんです。 正義とか間違いとかは後から作られるものであって、実際に国が動くのは「カネになるかどうか」。 厳しいけど、これが資本主義の本音です。 ◆ アメリカが味方する国=儲かる国 アメリカやイギリスがイスラエルを全力で支持してるのは、単純に「民主主義を守るため」なんかじゃない。 イスラエルって、世界でもトップクラスの軍事・IT・サイバー分野のスタートアップ天国で、米国企業とがっつり取引してるし、兵器も買ってくれるし、投資先としても超優秀。 つまり、**「ちゃんとお金を落としてくれる国」**なんです。 逆に、イランはどうかというと…経済制裁で企業はほとんど撤退してるし、石油利権も面倒な政治が絡んでうまく回らない。要するに、**「金にならない国」**というのが西側の認識。 ◆ 「税金払わないなら、爆弾落とす」 これ、ショッキングな言い方かもしれないけど、僕は資本主義ってそういう側面があると思ってます。 つまり、 だったら、戦争が起きそうでも全力で守る。 逆に、リターンがない国なら、爆弾を落としても痛くない。むしろ「脅威だから排除しよう」って話になる。 これは冷戦時代から何も変わっていません。いや、今の方がもっと露骨かも。 ◆ 「どっちが正しいか」は重要じゃない イランが悪いとかイスラエルが正しいとか、そういう話をしたいんじゃなくて、 「国際社会が誰を助けるか」の基準って、結局将来の利益が見込めるかどうかなんですよね。 この現実を理解せずに「なぜ助けないのか」「なぜこっちだけ支援するのか」と言っても、虚しくなるだけです。 ◆ 生き残るには「価値のある存在」になるしかない 国家って、究極的には企業と同じなんじゃないかって思います。 つまり、「お金を動かす力」が国の生存戦略の鍵。 だからこそ、税金を集めて軍事や技術に再投資して、世界の経済の中でちゃんとポジションを持つ──これが本当に必要なことなんだと思います。 ◆ 最後に:正義は後から物語にされる 戦争が起きたとき、よく「正義の味方」と「悪の国」みたいなフレームで語られがちだけど、冷静に見ると、だいたい**「金になる方」が正義になってる**だけだったりする。 それってちょっと悲しいけど、ある意味すごく現実的で、だからこそ僕たちは「なぜ支援される国とされない国があるのか」を、もっと冷静に考えるべきなんじゃないかなと思います。 📌 あなたはどう思いますか?「それでも正義を信じたい」という意見も歓迎です。コメントでぜひ聞かせてください。
ロンドン、抗議のうねり──分断の時代に「声」を投げかける街
6月のロンドンには、風よりも早く「声」が広がっていた。シュプレヒコール、ドラムの響き、旗のはためき──それは単なる抗議ではなく、怒り、連帯、叫び、祈りが混じり合った「都市の鼓動」そのものだった。白亜の建物群が立ち並ぶウエストミンスターから、官庁街、ナイツブリッジ、さらにはカムデンやハックニーまで、抗議の波は確実に広がっている。 パレスチナ、イラン、そして世界をめぐる交差点 今月、最も注目を集めたのはパレスチナ支援を掲げるデモだった。首都中心部を数万人規模の人びとが練り歩き、「自由をガザに」「戦争に加担するな」との声が街中に響き渡った。これは昨年10月以降、イスラエル・ガザ情勢が激化したことを受けて始まった一連の動きの延長線にあるが、今回は単なる反戦を超え、英国政府の外交姿勢、武器輸出、メディアの偏向報道、さらには欧州の人種的分断構造までが批判の対象になった。 同時に、イランを巡る動きも複雑な様相を呈している。ロンドン在住のイラン人コミュニティの間では、6月20日に発生したイラン大使館付近での衝突が緊張をさらに高めた。政府支持派と反体制派が交錯し、言い争いは次第に暴力を伴う衝突へと発展。警察は7名を重傷害容疑で起訴し、現場には一時的な立ち入り規制が敷かれた。ここには、国外に住む人々が母国の問題を「ロンドン」という開かれた都市空間で表現しようとする深い構造がある。 若者の台頭と「Just Stop Oil」以降の新しい形 この抗議の広がりにおいて、特筆すべきは若者たちの存在だ。環境運動「Just Stop Oil」から分派するような形で、学生や若年層を中心とした「Youth Demand」なる団体が台頭している。彼らのメッセージは明確だ。「未来を守れ」「石油を止めろ」。しかしそれは単なる環境活動にとどまらず、政治的意思表示のひとつとして、制度そのものへの異議申し立てになっている。 例えば、彼らの一部が公共施設に侵入して行った抗議行動では、精神的な障がいや自閉スペクトラムを抱える若者も多く含まれていた。こうした逮捕劇は、警察の対応や制度の柔軟性を問う声を呼び、抗議そのものとは別の社会課題も浮き彫りにした。 デモは「混乱」か「再構築」か このようなロンドンの抗議の連鎖を、単なる「治安の乱れ」や「過激化した活動」として片付けてしまうことは容易い。しかし、その背後には、声を上げなければ取り残されてしまう人々の焦り、希望、絶望が折り重なっている。 かつて、抗議は一つのテーマに絞られたものだった。だが今は違う。人々の不満は、国際政治から気候変動、差別、教育、福祉、そして表現の自由にまでおよぶ。それらが同時多発的に交差し、デモは「抗議の場」から「社会の鏡」へと変貌しているのだ。 ロンドンという都市の役割 ロンドンという街には、特別な役割がある。旧帝国の首都として、そして移民が多く暮らす多文化都市として、世界中の声が交差する場所。中東やアフリカ、南アジアからの移民だけでなく、難民や政治的亡命者がこの街に生きている。その一人ひとりの声が、いま「プロテスト」という形で現れているにすぎない。 ロンドンは決して一枚岩ではない。賛否の激しい意見がぶつかり合い、時に対話の場は怒号に変わる。しかしその不安定さこそが、変化と前進を促す可能性を秘めている。 声の向こうにあるもの プロテストは終着点ではなく、むしろ始まりだ。怒りの声が街に響くとき、その背後には「聞いてほしい」という願いがある。パレスチナの子どもたちの命を想う人もいれば、障がいを抱えても声を上げたい若者もいる。石油利権に未来を奪われたと感じる学生もいれば、祖国を失った亡命者もいる。 ロンドンの街角で立ち止まり、ふと聞こえてくるその「声」は、世界のどこかで起きていることを、私たちの身近な問題として受け止めるための入り口なのかもしれない。
加担か、中立か?
英国の「静かなる参戦」と分断される世論 イランとイスラエルの間で緊張が高まる中、遠く離れた英国でもその火花は静かに飛び散り始めている。 表向きには「直接的な軍事介入はしていない」との立場を保つ英国政府だが、裏では空軍の中東派遣や、米国との緊密な連携、政治的なスタンスに至るまで、イスラエル寄りの姿勢がにじみ出ている。多くの市民は「なぜ我々がこの戦争に関わるのか」と疑問を投げかけ、一方で一部の政治家や活動家はイスラエル支援を正当化する。 いま英国国内で起きているのは、外交方針をめぐる「静かな内戦」とも言える。 ✈️ “派兵”という言葉を使わずに兵を送る 2025年6月、英国は空軍のジェット戦闘機と空中給油機を中東地域に派遣。公式には「地域の安定と英人保護のため」と説明されたが、イスラエルがイランに対して報復攻撃を行う中、この派遣の意味は重い。空中給油機は単なる“後方支援”ではない。戦闘機の稼働時間を伸ばす生命線であり、事実上の作戦支援だ。 スターマー首相は「我々は戦争を望んでいない」と語る一方で、「必要であれば我々は防衛支援を行う」と含みを持たせている。いわば、「関与はするが、責任は取らない」構図だ。 🧑💼 影響力のある“沈黙しない者たち” イスラエルと英国には深い歴史的つながりがある。過去にはバルフォア宣言(1917年)を通じ、パレスチナへのユダヤ人国家建設を支持した経緯もあり、保守派を中心にイスラエル支援は今も根強い。 政治の場では、Conservative Friends of IsraelやLabour Friends of Israelといった議員グループが存在感を放ち、政策や議会での発言を通じて「イスラエルの立場」を擁護する。 さらに、エイロン・アスラン=レヴィのような人物も注目されている。イスラエル政府の元スポークスマンでありながら、英国市民としてロンドンで発言を続け、「イランに対する譲歩は暴力を生む」と声高に訴えている。彼の言葉は、議会よりも速くSNSで拡散され、世論を動かし始めている。 ✊ 市民社会の反発:「これは私たちの戦争ではない」 一方、英国市民の間では、イスラエル支援に対する根強い不信と批判がある。特に若年層や大学コミュニティでは、イスラエルのガザ侵攻を「戦争犯罪」とみなし、関与すること自体が「道義的に誤っている」とする声が強い。 ロンドンやマンチェスターでは、**Stop the War Coalition(戦争反対連合)**による大規模デモが頻発。人々は「Free Palestine」のプラカードを掲げ、政府の姿勢に抗議している。 これらの抗議は、単なるパフォーマンスではない。労働党内の左派、特に若手議員の一部はこの声を受け、「中立外交」を再定義すべきだと主張し始めている。 🧭 英国はどこへ向かうのか 英国の中東政策は常に「均衡」を重んじてきたが、それはもはや成り立たないのかもしれない。 イランとイスラエルの対立がエスカレートし、米国が攻撃に加われば、英国にも選択が迫られる。関与するのか、距離を取るのか。その決断は国際社会における“道義”と“利害”の間で揺れる、非常に難しいものだ。 一つ確かなのは、「中東の炎」が燃え上がるとき、英国はいつもその炎のすぐそばにいる、ということだ。 ✍️ 締めくくりに 21世紀の戦争は、もはや戦場だけで起きるものではない。ロンドンの議会、マンチェスターの大学、そしてSNS上のひとつの投稿が、ミサイルと同じほどの影響を持つ。英国がどちらの側に立つのか、それは市民一人ひとりの声によって決まるかもしれない。