
「イギリス人は潔癖症が多い」という話を聞いたことがある方は少なくないかもしれません。特に精神疾患としての強迫性障害(OCD:Obsessive Compulsive Disorder)に悩む人が多いという指摘は、心理学的にも、そして社会的にも一定の根拠があります。
しかしながら、一歩イギリスの街に足を踏み入れてみれば、話は少し違って見えてきます。通りにはゴミが落ち、家に上がるときも土足が当たり前。日本的な感覚からすると「潔癖」とは真逆ともいえる日常風景が広がっています。
では、なぜイギリスでは「潔癖症」やOCDに悩む人が多いと言われるのか?そして、なぜその一方で、生活環境には「清潔感がない」と感じられる場面が多いのか?その背景には、文化的・社会的・心理的な複合的要因が隠されています。
そもそも潔癖症とOCDの違いとは?
まず最初に、一般的に言われる「潔癖症」と医学的な「OCD(強迫性障害)」は別物であるという点を明確にしておく必要があります。
- 潔癖症(clean freak):日常的なレベルで「汚れが気になる」「部屋を常に清潔にしていたい」といった感覚を持つ人を指す、俗称的な表現。性格や習慣の延長であることが多い。
- OCD(強迫性障害):不安や恐怖を軽減するために、繰り返し同じ行動(手洗い、確認、整列など)をせずにはいられない精神疾患。症状が日常生活に支障をきたすレベルであるのが特徴。
つまり、「イギリス人に潔癖症が多い」という言い回しは、実際には「OCDに悩む人が多い」という事実と混同されている場合があります。
イギリスでOCDが多いと言われる理由
1. メンタルヘルスへの意識が高い
イギリスでは、メンタルヘルスについての啓発が比較的進んでいます。NHS(国民保健サービス)をはじめ、公的・民間のメンタルヘルス機関が多数存在し、自身の心理状態を「ラベリング」することに対して抵抗が少ない文化があります。
そのため、日本に比べてOCDを自覚・診断されやすく、結果として「OCDの人が多い」という印象につながっているとも言えるでしょう。
2. 社会的ストレスの多さ
特にロンドンなど都市部では、住宅価格の高騰や移民問題、生活費の高騰など、日常的なストレスが非常に大きく、それが心理的な不安や強迫観念を引き起こす要因になることがあります。
また、教育水準が高く、完璧主義的傾向を持つ人が多いという調査もあり、これがOCDの発症率に影響している可能性があります。
3. 富裕層に多いという実態
意外かもしれませんが、OCDは富裕層に多いとされる傾向があります。これは、リソース(時間・金銭・空間)があるからこそ、「理想的な環境」や「完璧な清潔さ」を追い求める心理が生まれやすいからだと考えられています。
また、裕福な家庭では小さい頃から「規律」や「美徳」として「清潔さ」や「几帳面さ」が強調されることが多く、それが強迫的な行動へとエスカレートするケースも報告されています。
その一方で…イギリスの通りはなぜあんなに汚いのか?
OCDが多い国でありながら、なぜイギリスの街は「清潔」とは言いがたいのか?これは非常に興味深い逆説的な現象です。
1. 清掃制度の不完全さ
イギリスの街中を歩いていると、ゴミ箱が少なく、落ち葉や空き缶が散乱しているのを目にすることが少なくありません。特に冬場や週末になると、市の清掃サービスが間に合わないことも多く、「ごみがあるのが普通」という風景が出来上がってしまっています。
2. プライベートとパブリックの区別
イギリスでは「自分のテリトリーは徹底的に管理するが、それ以外はどうでもいい」という感覚が根強い傾向があります。つまり、家の中はきれいにしても、通りや駅など公共の場には無頓着な人が多いのです。
これは裏を返せば、個人主義的文化の一端とも言えます。公共空間への責任感が薄いというわけではなく、「自分の領域ではないから干渉しない」という考え方なのです。
3. 土足文化が与える印象
さらに日本人の感覚からすると「不潔」に感じやすいのが、家の中でも土足で生活する文化です。実際、イギリスの多くの家庭では、今でも家の中で靴を履いたまま生活するのが一般的。もちろん最近は靴を脱ぐ習慣が広まりつつありますが、それでも土足文化は根強く残っています。
これにより、特にアジア圏の人からは「潔癖とはほど遠い」という印象を持たれやすいのです。
「潔癖」は見た目ではわからない
このように、街が汚れているからといって、その国の人々が「潔癖でない」とは言い切れないのが現実です。
OCDの症状は多種多様で、手洗いや掃除だけに限定されるものではありません。たとえば「物の配置が狂うのが許せない」「ドアを何度も確認しないと安心できない」「数字や言葉に対するこだわりが強い」といった、他人から見れば気づきにくい形で現れることが多いのです。
また、潔癖的な傾向を持っているからといって、外の世界すべてにそれを当てはめられるわけではありません。むしろ、外の「汚さ」や「無秩序さ」に過敏に反応することで、より強く苦しめられている人が多いとも言えるのです。
日本との比較:清潔感とメンタルヘルスの距離
日本は、見た目の清潔さにおいては世界的にも高評価を受けています。駅もトイレもきれいで、路上にごみを見かけることはほとんどありません。その一方で、メンタルヘルスに対する理解やオープンさにはまだ課題が多く、OCDなどの精神疾患についても「気の持ちよう」と片付けられてしまうケースが少なくありません。
この点、イギリスは街並みの清潔さという面では劣るかもしれませんが、メンタルヘルスに対しては非常に開かれている国と言えるでしょう。
まとめ:イギリス人は「心の中」に潔癖を抱えている
イギリスにおけるOCDの多さと、街の清潔さや生活様式とのギャップは、文化や心理、社会的背景が複雑に絡み合った結果として存在しています。
- 街が汚れていても、心の中では「汚れ」に極端なまでに敏感な人が多い
- 富裕層にOCDが多いのは、理想の「完璧さ」を追い求める傾向が強いため
- 土足文化や公共の無秩序さは、個人主義的な文化の延長にすぎない
一見すると矛盾に満ちた状況ですが、それこそが現代のイギリス社会のリアルな姿でもあります。潔癖とは、表面的なきれいさではなく、「心の中の不安」によって形づくられるものなのです。
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