国民が一つになるのはサッカーの時だけなのか——イギリスと日本、抗議がまとまらないもどかしさ

家賃が高い。食費がかさむ。働いても生活に余裕が生まれない。政治への不満を口にする人はいても、その怒りが一つの大きな行動になるとは限らない。

イギリスを見ていると、日本と似たもどかしさを感じる。抗議したいことは山ほどあるのに、目的も、場所も、日時も、運動ごとに分かれている。参加する側も、どこへ行けばよいのか、自分の声が何につながるのかを、それぞれ判断しなければならない。

ところが、サッカーの大事な試合となれば、予定を合わせ、同じ画面を見つめ、同じ瞬間に歓声を上げる。

「そこまで一緒に熱くなれるのに、自分たちの暮らしを守る時には、なぜ足並みがそろわないのか」

そんな疑問が浮かぶ。

不満は共通していても、要求はばらばらになる

イギリスも日本も島国だ。しかし、島国という地理だけで、国民のまとまり方を説明することはできない。ここで考えたいのは、不満を持つ人同士が、共通の要求を掲げる難しさである。

例えば、賃上げを求める人、家賃の負担を訴える人、税金の使い方を批判する人、公共サービスの改善を求める人がいる。

それぞれの訴えには切実な事情がある。それでも、別々の日に、別々の場所で、別々の言葉を使って訴えれば、社会全体には個別の問題として伝わりやすい。

給料の問題は、その職業の人の問題。住宅の問題は、借りている人の問題。医療の問題は、今まさに治療が必要な人の問題。

こうして他人の困り事として眺めているうちに、自分の番が来る。その時には、今度は自分が周囲から眺められる側になる。

本来なら「安心して暮らせる社会にしてほしい」という要求でつながれるはずの人たちが、それぞれの場所で疲れ果ててしまう。そこに、抗議が分散することの弱さがある。

イギリスには、大きくまとまる力もある

イギリスでは、組織的な抗議や共同の行動も実際に行われている。

2023年2月1日には、教員、大学職員、公務員、鉄道運転士などが同じ日にストライキを行い、労働組合会議(TUC)の推計では最大約50万人が参加したと報じられた。職種を超えて行動を合わせた実例である。

この規模の行動を実現できる力はある。だからこそ、その連帯を普段の社会にも広げられないのか、と感じる。

自分の職場の賃金交渉が終わった後も、別の職業で働く人の生活に関心を持てるか。自分が持ち家を手に入れた後も、家賃に苦しむ人の声を聞けるか。

一日の人数を集めることと、立場の違う人同士が支え合い続けることには、それぞれ別の難しさがある。

抗議の強さを考えるなら、その日の熱気に加えて、翌月も、翌年も、どこまで関心と協力が続くのかを見る必要があるだろう。

サッカーには、共有できる時間と目標がある

サッカーは、誰を応援するのか、何時に始まるのか、何が起きれば喜べるのかが分かりやすい。得点という出来事を、同じ瞬間に共有できる。

厳密には、英国にはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの別々の代表がある。「英国民全員が一つの代表を応援する」という構図ではない。それでも、同じチームを応援する人々の間に生まれる一体感は、この話を考える手掛かりになる。

政治では、応援する相手も、目指す結果も簡単には一致しない。

同じ物価高に苦しんでいても、減税を望む人もいれば、給付や公共サービスの拡充を望む人もいる。住宅費についても、借りる側と貸す側では、望む政策が違うことがある。

だからこそ必要になるのが、違う立場の人が合意できる要求を整理する仕事である。

何を変えてほしいのか。誰に決定する権限があるのか。いつまでに回答を求めるのか。どのような変化があれば前進と判断するのか。

そこが曖昧なままでは、参加者は怒りを共有できても、次に何をすればよいのかを共有しにくい。

分散した怒りは、政治への圧力になりにくい

政治の側から見れば、要求も日程も分かれている抗議には、個別に対応しやすいだろう。一つの問題として、継続して回答を求められる場合とは、受ける圧力が違うと考えられる。

もちろん、全国で全く同じ場所に集まる必要はない。各地で行動していても、共通の要求と日程があり、その後の交渉につながっていれば、一つの運動として力を持ち得る。

逆に、大勢が一か所に集まっても、要求や次の行動が共有されていなければ、熱気を具体的な変化につなげることは難しい。

大事なのは、集まる人の数と、その人たちの意思を結び付ける仕組みである。

日本とイギリスを重ねて感じるもどかしさも、ここにある。日常では政治への不満を語れても、それを行動につなげる段階で、急に一人ひとりの判断と負担に委ねられてしまう。

仕事を休めるのか。交通費を払えるのか。参加して何が変わるのか。

こうした疑問に答えられる運動でなければ、生活に余裕のない人ほど参加しづらくなる。暮らしに困っている人の声を集めたいのに、その人たちが参加する余力を持てないという問題もある。

サッカーの試合には、日時があり、場所があり、目標があり、次の試合がある。抗議活動にも、参加する人が見通しを持てる段取りが必要だ。

「国民が一つになるのは、サッカー観戦の時だけ」

そう言いたくなる光景を変えるには、他人の困り事を自分の暮らしと結び付け、その声を続けて届ける仕組みを育てていく必要がある。

試合のために予定を合わせられる人たちが、自分たちの将来のためにも予定を合わせる。その一歩を、誰が、どう作るのかが問われている。

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