
はじめに
イギリスではここ数年で、子どもたちがスマートフォン、タブレット、ゲーム機といったデジタルデバイスを所有・使用する年齢が急激に低下している。今や小学校低学年、場合によっては就学前の子どもでさえ、それらの機器を当たり前のように扱っている。この事実は、「技術の進歩に対応している」という表面的な喜びを超えて、深刻な社会的・心理的な問題をもたらしている。
子どもたちはスクリーン越しに無限の世界とつながっているように感じているかもしれない。しかし実際の彼らの生活空間は、学校と家の往復に閉じ込められ、身体的な移動も、精神的な成長も止まってしまっているように見える。彼らは果たして、世界とつながっているのだろうか?それとも、孤立の迷宮に閉じ込められているのだろうか?
第一章:子どもたちとスクリーンの関係
2020年代初頭のイギリスの調査によると、8歳以下の子どもの80%以上が日常的にスマートフォンまたはタブレットを使用しており、そのうちの多くが親から与えられたデバイスを所有している。利用目的の多くはYouTubeやゲーム、SNS(場合によっては年齢制限を無視)である。
テクノロジーの「支配」ではなく「依存」
現代の子どもたちは、大人顔負けの操作スキルを身につけている。デバイスの設定を自分で変更し、動画編集を行い、仮想世界でコミュニティを築く。表面上は「デジタルネイティブ」として、技術的に優れているように見えるが、問題はその裏に潜む依存の構造である。
脳の発達段階にある子どもたちは、スクリーンから受ける刺激に対して極めて敏感だ。ドーパミンが過剰に分泌される設計になっている多くのアプリやゲームは、報酬中枢を刺激し、短時間で「報酬を得る」感覚に慣れてしまう。この構造に慣れた子どもたちは、現実世界のゆっくりとした達成感や、人間関係の摩擦を「退屈で、つまらないもの」と認識するようになってしまう。
第二章:子どもたちの「現実逃避」と「孤独」
多くの親は「子どもが静かにしているから」という理由でデバイスを与える。それは、たしかに一時的な静寂をもたらすが、長期的には子どもたちの社会的スキルや対人関係能力、忍耐力や共感力の発達を阻害する。
週末の公園が空になった理由
かつての週末、公園には子どもたちの笑い声が響いていた。今では、ベンチに座る親がスマホを見つめ、子どもも横でiPadをいじっている風景が目立つ。外で遊ぶよりも、室内でゲームに熱中する方が「楽しい」と感じてしまう子どもたちが増えている。親が疲れている、忙しい、面倒くさい──そんな理由で、「外で遊ぶ」「本を読む」「友だちと遊ぶ」といった、子どもの健全な成長に欠かせない活動が後回しになっているのだ。
第三章:暴力的思考と感情の麻痺
もっとも深刻なのは、感情の処理能力が未熟なままデジタル世界の「極端な情報」に晒され続けた子どもたちが、問題に直面したときに「消す」という発想に至ってしまう点である。
SNSでの無言の「削除」と、現実の「消去」
SNSの文化に慣れた子どもたちは、気に入らない相手を「ブロック」や「削除」することに抵抗がない。これはバーチャル上では健全な境界線の引き方とも言えるが、現実世界で同じような「排除思考」が育ってしまうと危険である。「思い通りにならない相手=存在を消してもよい対象」とする心理が育まれてしまう危険性がある。
近年、イギリス国内で起きた十代による暴力事件の中には、被害者と加害者がSNSを介して激しく対立していたケースが目立つ。怒りをためこみ、リアルでの対話もできず、最後に選ばれた手段が「現実から消す」という行動だった。
第四章:この社会を作ったのは誰か?
子どもたちがこのような思考に至ってしまった責任は、誰にあるのか。学校か?政府か?もちろんその要因は複雑だが、最終的に最も近くにいた大人──すなわち、親たち自身が最も大きな責任を負っている。
私たちは「与えすぎて」しまった
スマホを持たせたのは親であり、それを使いすぎていても注意せず、週末に「公園行こう」と言われても「YouTube見てていいよ」と言ってしまったのも私たちだ。無意識のうちに、子どもを「静かにさせるための道具」としてデバイスを使ってしまっていないだろうか。
親も忙しい。余裕がない。分かる。しかし、そこで「楽な方」ばかりを選んできた積み重ねが、今の現実を作ってしまったのだ。
第五章:再び「つながり」を取り戻すために
今、私たちは選択の岐路に立っている。技術を否定するのではない。技術と人間の関係性を見直すことが求められているのだ。
子どもに必要なのは「制限」ではなく「関係性」
スクリーンタイムを制限するだけでは意味がない。子どもたちが「面白い」と感じる現実世界を、私たち大人が用意しなくてはならない。親が一緒に遊ぶ。一緒に本を読む。一緒に料理する。一緒に失敗する。そういった「生の経験」が、子どもたちの心の土台をつくる。
結論:子どもたちを救えるのは、私たち大人しかいない
未来を担う子どもたちの世界が、スクリーンに囲まれた狭い牢獄になってしまうのか、それとも現実の豊かさと多様性を感じられる自由な場所になるのか。それは、私たち大人の選択と責任にかかっている。
子どもがスマホばかり見るのは、スマホが面白いからではなく、現実がつまらないからなのだ。
その「現実」をどう作り直すか。私たちは、今こそ真剣に考えるべき時に来ている。
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