英国における“紅茶離れ”と“コーヒー文化の台頭”:伝統と現代が交差する飲料の物語

長年にわたり「紅茶の国」として知られてきたイギリス。しかし、近年そのイメージに大きな変化が訪れています。2023年の最新調査によれば、イギリス人の63%が定期的にコーヒーを飲むと回答し、紅茶の59%を上回りました。これは些細な差のように思えるかもしれませんが、紅茶文化の長い歴史を考慮すると、非常に象徴的な転換点と言えます。

この変化の背後には、ライフスタイルの変化、若年層の嗜好、外食・カフェ文化の進展、新たな健康志向飲料の台頭など、様々な要因が絡み合っています。本記事では、イギリスにおけるコーヒーの台頭と紅茶の立ち位置の変化について、歴史的・文化的背景を踏まえながら詳しく掘り下げていきます。

■ イギリス=紅茶大国?その歴史的背景

まず、イギリスと紅茶の関係は約350年もの歴史を持ちます。17世紀に中国からもたらされた紅茶は、18世紀にはイギリス上流階級の間で贅沢品として人気を博しました。やがて紅茶はインドやスリランカでの植民地経営と深く結びつき、帝国主義と経済戦略の象徴ともなります。

19世紀にはアフタヌーンティーが社会習慣として定着。ビクトリア朝時代には「ティータイム」は社交の中心にありました。紅茶は家庭内でも職場でも日常の一部として浸透し、「紅茶なくして一日を始められない」というほど、国民的な飲料となったのです。

しかし、そうした伝統に陰りが見え始めたのが21世紀以降。特に2010年代から、コーヒー文化の影響が若年層を中心に急速に広がり始めました。

■ カフェ文化の台頭:都市を席巻するコーヒーショップ

イギリスのコーヒー文化の浸透は、スターバックス、カフェ・ネロ、コスタコーヒーなど、世界的ブランドの進出とともに加速しました。朝の通勤時にテイクアウトのコーヒーを片手に歩く人々の姿は、もはやロンドンの日常風景。カフェは単なる飲食店ではなく、「働く場所」「会う場所」「くつろぐ場所」として、多機能化しています。

2023年時点で、イギリス国内に存在するブランドコーヒーショップの数は10,199店舗。これは今後も増加傾向にあり、2030年には、かつて国民的社交場だった「パブ」の数を上回ると予測されています。この変化は、飲料の好みだけでなく、国民の生活スタイルそのものの変化を映し出しています。

特に若年層においては、コーヒーは「自己表現の一部」としても機能しています。カスタマイズ可能なラテ、モダンな店内デザイン、SNS映えするビジュアル……こうした要素が、ティーンや20代の嗜好と親和性を持ち、紅茶よりも強く訴求しているのです。

■ ミレニアル・Z世代の嗜好とライフスタイルの変化

25歳未満の人々の間での飲料の好みは、紅茶よりもコーヒーやホットチョコレートに移行しています。ある調査によると、25歳未満の37%がコーヒーを好み、31%がホットチョコレート、紅茶はわずか25%に留まっています。

この背景には、味の好みの変化だけでなく、「スピード感」「利便性」「個性」の重視があると考えられます。紅茶はティーポットで丁寧に淹れるというステップが必要であるのに対し、コーヒーはエスプレッソマシンやペーパーカップで迅速に提供され、忙しい現代の生活にフィットしているのです。

また、インスタグラムやTikTokなどのSNSでは、ラテアートやエスプレッソトニックのような“映える”コーヒーが拡散されており、若者の美意識や共有文化にも強く影響を与えています。

■ 健康志向と新たな飲料市場の台頭

さらに、紅茶離れに拍車をかけているのが、新しい飲料カテゴリーの登場です。特に健康志向が高まる中で、バブルティー(タピオカティー)やコンブチャ(発酵茶)といった機能性・個性のあるティーベースの飲料が注目を集めています。

これらの飲料は、単なる水分補給という枠を超え、「デトックス」「美肌」「腸内環境改善」といった付加価値を提供する点で、従来の紅茶よりも魅力的に映ることがあります。特にロンドンやマンチェスターなど都市部では、これらの専門店が急増しており、新たなトレンドを牽引しています。

■ なぜ紅茶専門店は少ないのか?

紅茶人気が根強く残る一方で、紅茶専門店はそれほど多くは見られません。これはいくつかの要因によって説明できます。

まず、かつての紅茶チェーン「リヨンズ・ティールーム」などが姿を消し、現在では独立系の小規模なティールームが主流となっている点。こうした店は観光客や一部の紅茶愛好者にとっては魅力的ですが、大衆向けとは言い難いのが現状です。

さらに、スターバックスやカフェ・ネロなどのカフェチェーンでも紅茶は取り扱われており、特に専門店に足を運ばなくても事足りるという「利便性」が、紅茶専門店の発展を阻んでいるとも言えるでしょう。

■ それでも残る「紅茶の魂」—進化するティー文化

とはいえ、紅茶が完全に衰退しているわけではありません。むしろ、新しい形でその文化を守り、進化させようとする動きも見られます。

その代表例がロンドンの「Postcard Teas」。ここでは、世界中の小規模な茶園から直接買い付けた高品質な紅茶を提供し、シングルオリジン・ティーという新しい価値観を打ち出しています。こうした店は、紅茶を単なる「飲み物」ではなく、「文化的体験」として再定義していると言えるでしょう。

また、アフタヌーンティー文化も高級ホテルやレストランを中心に根強く残っており、観光や特別な日の体験として支持を得ています。紅茶は日常の飲料から“特別な体験”へのシフトを遂げつつあるのかもしれません。

■ 紅茶とコーヒーの未来:共存か、それとも交代か?

今後、イギリスにおける飲料文化はどう変化していくのでしょうか。コーヒーの優勢はしばらく続くと予想されますが、紅茶もまた、その価値を再発見・再定義されつつあります。

飲料選びは単なる味の好みだけでなく、個人の価値観、ライフスタイル、社会との関わり方の表れでもあります。コーヒー文化の台頭は都市化、スピード社会、デジタル時代の象徴とも言え、紅茶はその反対にある「丁寧さ」「癒し」「伝統」といった価値を内包しています。

つまり、今後のイギリスでは、コーヒーと紅茶が明確に住み分けをしながら、それぞれの文化を深化させていく可能性が高いと言えるでしょう。

■ まとめ:変化する飲料文化のなかで問われる“イギリスらしさ”

イギリスにおけるコーヒー消費の拡大と紅茶の相対的な地位の変化は、単なる飲み物の流行の移り変わりではなく、国民のライフスタイル、価値観、文化の再編を映す鏡です。

紅茶は衰退しているのではなく、再構築の過渡期にあると言えるかもしれません。今後、コーヒー文化の拡大とともに、紅茶もまた“現代的にアップデートされた伝統”として、再び注目される日が来ることでしょう。

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