イギリス人は「いくら」を食べない──魚卵食文化が超えられない文化の壁である理由

日本の食文化は世界でも独特だとよく言われます。「世界三大料理」には入っていませんが、日本食がユネスコ無形文化遺産に登録され、ヘルシーでバランスがよく、見た目にも美しいと評価されていることは周知の通り。しかし、そんな日本食の中でも“越えられない壁”として海外の人々が躊躇するジャンルがあります。そう、それが魚卵です。

「魚の卵を生で食べる」──その発想自体がありえない

まず、イギリスに住んでいる、あるいはイギリス人の友人を持つ日本人であれば一度は経験したであろう質問。

「それ、何?」
「……え、魚の卵?それって生?」
「うわ、それってちょっと……グロくない?」

イギリス人にいくらを出すと、まず間違いなく眉間にシワを寄せられます。色鮮やかにキラキラと光るオレンジ色の粒が、彼らにはどう見えるのか。「未成熟な生命体の集合体」「内臓」「生き物の分泌物」……とにかく“食べる”という発想が浮かばないのです。

ここに文化の違いがあります。日本では、おせち料理における数の子は子孫繁栄の象徴。いくらは軍艦巻きの定番。明太子は朝ご飯にも、おにぎりにも、お酒のおつまみにも使われる定番食材。一方でイギリスには、そもそも「魚の卵を食べる文化」がほとんど存在しません。せいぜいキャビアですが、それは「食べる」というより「嗜む」もの。高級品であり、日常的な食卓に上がることはありません。

数の子に感じる“嫌悪感”

数の子を見せると、イギリス人の多くは一瞬フリーズします。透明感があり、ぷちぷちした食感、黄味がかった色合い……。

「え、これは……歯の詰め物?」
「スポンジ?いや、虫の卵?」

といったリアクションは冗談ではありません。イギリス人の多くにとって、「魚卵=奇異な存在」なのです。そしてその嫌悪感の根底には、魚というものに対する欧米の価値観の違いがあります。

イギリスでは基本的に魚は「白身で、骨が少なく、臭みがない」ことが好まれます。タラ、ハドック(鱈の一種)、サーモンなどがその代表。調理法もフライやグリルが主流で、魚の内臓や卵を積極的に食べようという意識がほぼ皆無です。

数の子やししゃもに卵が入っていたとき、彼らはこう言うでしょう。

「それはきちんと掃除されてないってこと?」
「料理が失敗してるんじゃないの?」

これが普通の感覚。発想が“いやらしい”というより、“理解不能”なのです。

いくらは「目玉のように見える」

さらに言えば、いくらに至っては見た目がグロテスクと感じられることが多いようです。日本人が「宝石みたい」「美しい」と感じるいくらのビジュアルも、イギリス人から見るとどこか「目玉」「内臓」「透明な寄生虫の卵の集合体」のように見えるというのだから驚きです。

これに関して、ロンドンのあるフードライターが語っていたことが印象的でした。

「初めていくらを見たとき、脳内にサイエンスホラー映画の映像がよぎった」

日本人が見れば「絶品」の軍艦巻きが、彼らにとってはホラーの小道具に見えるというのです。

「でも日本フリークなイギリス人は食べるんでしょ?」──それ、例外です

たまにこんなことを言う人がいます。

「でもさ、イギリス人でもいくらとか明太子とか食べてる人いるよね?」
「海外の寿司屋でもサーモンいくらロールとか人気あるって聞いたし」

確かに、そういうイギリス人は存在します。しかし、そういう人たちはただの例外であり、大抵は“筋金入りの日本フリーク”です。アニメや漫画、和食にハマり、日本語を勉強して、日本人の彼女がいるようなタイプ。つまり、日本文化に対する特別な愛着があって初めて“食べられる”ようになるのです。

いくらを最初に食べるときも、彼らは葛藤します。

「怖いけど……トライしてみたい」
「ナルトも食べてるし……頑張ってみようかな」
「ここで逃げたら日本通とは言えない!」

もはや挑戦は“食文化”というより“アイデンティティの証明”です。

英国文化圏における「卵」のイメージの差異

そもそも欧米、とりわけイギリスにおいて「卵」というのは主に鶏卵を指します。ゆで卵、目玉焼き、スクランブルエッグ、卵サンド──卵はたしかに身近な食材ですが、あくまで「加工されたもの」「火を通したもの」としての位置づけ。

一方、日本における卵文化はもっと幅広く、「生食」が当たり前。魚の卵も、鳥の卵も、うにのような海産物の卵巣まで、ありとあらゆる卵を食する文化が根付いています。これに対して、イギリス人の感覚は極めて保守的。彼らにとって、「卵=精子や受精卵の塊」という生々しい発想が勝ってしまうため、どうしても食欲をそそられないのです。

「日本人が異常」というわけではない

ここで誤解してほしくないのは、「イギリス人が保守的」だからといって「日本人が異常」なわけではないということ。あくまで文化の違いであり、味覚の習慣であり、食材への心理的バリアの有無の問題です。

それでも、「魚卵は普通に食べるものだよ」と思っている日本人にとって、イギリス人の反応はやはり驚きでしょうし、時にはがっかりするかもしれません。しかしそれは、彼らが悪いのではなく、想像の枠組みそのものが異なるのです。

それでも魚卵を布教したいあなたへ

では、日本人がいくらや明太子、数の子といった魚卵文化をイギリス人に紹介したい場合、どうすればよいのか?

答えは一つです。

最初から勧めないほうがいい

無理に進めると逆効果です。「日本食=グロテスク」という印象を植え付けかねません。まずはサーモン、枝豆、照り焼きチキン、唐揚げ、たこ焼きなど“無難で受け入れやすい”メニューから始めて、「日本食って美味しい!」という印象を深めてもらいましょう。

魚卵に手を出すのは、それからです。そしてもし彼らが魚卵に挑戦したのなら、こう言ってあげましょう。

「よく頑張ったね。これで君も、立派な日本マニアだ」

最後に

文化とは、不思議なものです。ある人にとっては日常の食べ物が、他の人にとっては異世界のグルメになる。魚卵はその最たる例でしょう。

イギリス人がいくらを食べないのは、単なる好き嫌いではなく、文化的な背景と認知の違いに基づく当然のリアクションです。そして、そんな違いを「変だ」と笑うのではなく、「面白い」と感じられることこそが、本当の食文化交流の第一歩なのかもしれません。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA