ゴミを残すことで社会貢献?――あるイギリス人彼氏と日本人女性の短すぎた恋の話

恋とは不思議なものです。文化も言葉も育った背景も異なる者同士が惹かれ合い、たった一つの共通点、例えば「笑いのツボが一緒だった」なんて理由で始まることもある。しかし、それと同じくらい小さな価値観のズレが、関係に終止符を打つこともあります。

これは、ある日本人女性とイギリス人男性の、ちょっと風変わりな、しかしよくある結末を迎えた恋愛の一幕。そしてそこには「ゴミ」と「自意識」と「ドヤ顔」がキーワードとして存在しています。

地下鉄での“事件”

数年前、ある日本人女性(以下、Aさん)がイギリス人男性(以下、B氏)と付き合っていました。舞台はロンドンの地下鉄。2人で出かけたある日の帰り、ちょっとした事件が起こりました。

B氏が飲み終えたペットボトルを座席の下にポンと置き、そのまま電車を降りようとしたのです。日本で育ったAさんは、思わず声をかけます。

「そのゴミ、持って帰らなくていいの?」

すると、B氏は驚くべき返答をします。

「いやいや。世の中にはね、ゴミを拾うことを仕事にしている人がいるんだ。僕がこうしてゴミを残すことで、彼らの仕事がある。つまり、僕は社会に貢献してるってことさ」

満面のドヤ顔だったそうです。

「善意」の皮をかぶった自己中心主義

この発言を聞いて、多くの人は苦笑することでしょう。あるいは呆れて言葉を失うかもしれません。確かに、B氏の言うようにイギリスには「street cleaner」や「litter picker」といった職業が存在します。しかし、それを言い訳にわざわざゴミを公共の場に置いていく人が果たしてどれほどいるでしょうか?

Aさんは数日後、この彼氏と別れました。判断は妥当どころか、むしろ称賛に値します。

この出来事は単なる“マナー違反”では片づけられない、もっと根深い問題を孕んでいます。それは「責任転嫁」と「見せかけの正義」、そして「他人への想像力の欠如」です。

ゴミ清掃員の仕事とは何か?

まず前提として、街の清掃作業員の仕事は“市民が意図的にポイ捨てすること”を前提にはしていません。公共の衛生を保つため、不可抗力的に発生するゴミや、どうしても出てしまう日常のごみ(風で飛んだチラシや、事故で散らかったものなど)を処理するのが役割です。

彼らの仕事に対して敬意を払うことと、自分のゴミを放置することはまったく別次元の話です。

B氏の言い分を極論で置き換えるならば、「泥棒がいなければ警察はいらない。だから俺が泥棒をするのは、警察の存在価値を高めるためだ」と言っているようなものです。

笑えません。

恥ずかしい“ズレた正義感”

なぜ彼はそんな発言をしてしまったのでしょうか?仮説は二つあります。

ひとつは、本当にそう信じていたというケース。もしそうならば、B氏は社会構造を理解する以前に、倫理的思考の基礎を学ぶ必要があるでしょう。

もうひとつは、自分の行動をその場で正当化しようと、とっさに思いついた言い訳。しかも、それを「かっこいい俺」のプレゼンテーションにしてしまったケースです。

「自分は“くだらないこと”に縛られずに生きている。だから、ゴミなんて拾わない。そんな細かいことでギャーギャー言うな」

そういう“自由”を履き違えた態度が、B氏の言動から垣間見えます。

しかしAさんは気づいてしまったのです。「自由な男」を演じるその背後に、“恥を知らない男”の本性が潜んでいることを。

イギリス人全体がそうなのか?

当然ながら、B氏のような人物がイギリス人の典型ではありません。むしろ、多くのイギリス人は公共マナーに敏感で、公共空間を大切にします。

ロンドンの地下鉄で食べ物を食べたり、音楽を鳴らしたりすることに対する世間の目は厳しいです。駅構内にも「Please take your litter with you(ゴミは持ち帰ってください)」と明記されています。

つまり、B氏の行動は“イギリス人だから”ではなく、“B氏という人間の資質”に起因するものだったのです。

自意識過剰が恋を壊す

この話の本質は、「文化の違い」でも「イギリスと日本のマナー感覚の差」でもありません。それよりも、ひとりの男性が、相手の価値観や公共の意識を想像することなく、自分の言動を正当化しようとしたことが問題だったのです。

恋愛において、相手と価値観が違うこと自体は問題ではありません。しかし、その違いをどうやってすり合わせ、理解し合うかが重要です。

B氏は、自分の行動を省みるどころか、「正しいのは自分」「むしろ社会のためになっている」と主張した。そこでAさんは悟ったのです。

この先、何か問題が起きたときも、きっとこの人は「自分は悪くない」と言い続けるだろうと。

結論:ドヤ顔は身を滅ぼす

人は誰しも、かっこよく見られたいという願望を持っています。それ自体は悪いことではありません。しかし、その願望が自分の行動の誤りすら“正義”として捻じ曲げる方向に向かってしまうと、周囲はしらけ、距離を置くようになります。

B氏のように、「自分は何もしないことで社会に貢献している」などという滑稽な言い訳を、ドヤ顔で語るような人間には、いずれ誰もついてこなくなるのです。

そして何より、「そんな人と別れたAさんの判断は、極めて正しかった」と多くの人が思うことでしょう。

恋愛は鏡のようなものです。相手を通して、自分の価値観が浮き彫りになる。そして時に、相手の“隠された顔”が思わぬ瞬間に露呈する。

ペットボトル一本が引き起こした破局劇。そこには、現代の人間関係における「想像力」と「責任感」の大切さが、ユーモラスでありながらもしっかりと教訓として刻まれているのです。

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