
イギリスと聞いて、多くの人が思い浮かべるのは「アフタヌーンティー」「紅茶」「フィッシュ・アンド・チップス」などでしょう。しかし、日常の中でより身近に存在する、けれどあまり知られていないのが「パンに塗るもの=スプレッド(Spread)」です。イギリスではパンに何かを塗って食べるという習慣が、朝食はもちろん、ティータイムや軽食、時には夕食の一部としても重要な役割を果たしています。
この記事では、イギリス人がパンに塗って食べる代表的な食品の種類、その歴史や背景、そしてイギリス人の暮らしとの結びつきについて詳しく掘り下げていきます。
1. スプレッド文化の背景:パンと共に歩んだイギリスの食卓
イギリスでは、パンは非常にポピュラーな主食のひとつです。特にトーストされたスライスパン(Toast)は、朝食やティータイムに欠かせない存在。そこに何を塗るかが、食文化を象徴する要素のひとつとなっています。
元々、スプレッドの文化は保存食の知恵に根ざしています。冷蔵庫が普及する以前、パンは日持ちしにくく、乾燥や硬化を防ぐためにバターやジャムなどの「塗るもの」を使って食べるのが一般的でした。バターは風味だけでなく、カロリー源としても重要でしたし、果物を煮詰めたジャムやマーマレードは貴重なビタミン補給源としても重宝されていたのです。
2. イギリス人の定番スプレッド10選
ここからは、実際にイギリスの家庭でよく食べられているスプレッドの代表例を10種類ご紹介しましょう。
2-1. バター(Butter)
もっともベーシックなスプレッド。イギリスの朝には欠かせない存在で、トーストやスコーンに塗って食べるのが定番です。冷たいバターを熱々のトーストにのせて溶かしながら食べるのが醍醐味。最近では「ソルト入り(塩分あり)」や「オーガニック」などの種類も豊富です。
2-2. マーマレード(Marmalade)
オレンジの皮が入ったほろ苦いスプレッドで、世界的にも「イギリスの味」として知られています。特に「セビリアオレンジ」を使った伝統的なマーマレードは高級品とされており、女王陛下も好んだという逸話もあります。朝の紅茶と一緒に食べるマーマレードトーストは、イギリスらしい朝の風景そのもの。
2-3. ジャム(Jam)
ストロベリー、ラズベリー、ブラックカラントなど多種多様な果物から作られる甘いスプレッド。子どもから大人まで幅広い層に愛されており、スコーンにクロテッドクリームと一緒に塗る「クリームティー」は観光客にも人気です。
2-4. マーマイト(Marmite)
「Love it or hate it(好きか嫌いかどちらか)」で有名なマーマイトは、ビール製造時に出る酵母を使ったペースト。非常に塩辛く、クセの強い味で、日本人にはなじみが薄いですが、イギリスでは熱狂的なファンも多いです。トーストに薄く塗って、バターと一緒に食べるのが一般的。
2-5. ピーナッツバター(Peanut Butter)
アメリカの影響もあり、ピーナッツバターもイギリスで人気のスプレッドの一つです。クリーミータイプやクランチータイプがあり、ジャムと一緒に「PB&Jサンドイッチ」として食べるスタイルも広がっています。
2-6. チョコレートスプレッド(Chocolate Spread)
ナッツ系のチョコレートペースト(ヌテラなど)は、特に子どもたちに人気。トーストのほか、パンケーキやクレープにも使われます。朝食やおやつにぴったりの甘い誘惑。
2-7. レモンカード(Lemon Curd)
バター、卵、砂糖、レモンで作るクリーミーなスプレッド。ジャムとは違い、なめらかなテクスチャーが特徴で、甘酸っぱい味わいが魅力です。パンだけでなく、スコーンやタルトのフィリングとしても使われます。
2-8. ハニーバター(Honey Butter)
ハチミツとバターを混ぜたもの。バターのコクとハチミツの優しい甘さが絶妙にマッチしており、パンに塗るとまるでデザートのような味わいに。
2-9. チーズスプレッド(Cheese Spread)
スプレッド状に加工されたチーズもよく使われます。クリームチーズ、チェダーチーズ入りのペーストなど種類は様々。朝食だけでなく、サンドイッチにもよく使われます。
2-10. ベジマイト(Vegemite)
こちらは本来オーストラリアのものですが、マーマイトと似ており、イギリスでも一定の人気があります。より塩味が強く、栄養価の高さからヴィーガンにも人気があります。
3. スプレッドと紅茶文化の密接な関係
イギリスのティータイムには、パンやスコーン、クラッカーなどが欠かせません。そしてその横には、必ずといっていいほどスプレッドが登場します。特にクリームティーにおけるジャムとクロテッドクリームの組み合わせは、ティー文化の象徴的存在です。
ティータイムは単なる飲食の時間ではなく、社交やリラックスの時間でもあり、そこで使われるスプレッドには「味」だけでなく「会話のきっかけ」「もてなしの心」といった文化的な意味合いも含まれているのです。
4. 地域による好みの違いと家庭の味
イギリス国内でも、地域によって人気のスプレッドには若干の違いがあります。例えば、スコットランドでは甘さ控えめのブラックカラントジャムが好まれ、南西部のコーンウォール地方では自家製のクロテッドクリームとレモンカードのコンビが親しまれています。
また、「おばあちゃんの手作りジャム」や「地元のファームショップのマーマレード」など、家庭ごとの味やローカルブランドも多数存在し、それぞれにこだわりがあります。スーパーでは手に入らない味を求めて、週末にマーケットを訪れる人も多いのです。
5. 近年のトレンド:健康志向とヴィーガン対応
最近では、健康志向の高まりにより、砂糖不使用・オーガニック・グルテンフリー・ナッツフリーといったスプレッドも登場しています。特に若い世代を中心に「プラントベース(植物性)」のスプレッドが人気を集めており、ヴィーガン対応のバターやナッツペーストなども手軽に手に入るようになっています。
また、ハーブやスパイスを加えた「風味付きバター」や、「ビーガンマーマイト」などの革新的な商品も増えつつあり、イギリスのスプレッド文化は今なお進化を続けています。
6. スプレッドが紡ぐ「日常と伝統」
イギリスのスプレッドは、単なる「パンに塗るもの」ではなく、人々の生活の一部として深く根付いています。子どもが初めて覚える味、朝の忙しい時間に手早く食べる朝食、家族と囲むティータイム、祖母が教えてくれたマーマレードの作り方――こうした何気ない瞬間の中に、スプレッドは存在しています。
味覚としての魅力だけでなく、それを通じて受け継がれていくストーリーや想い出、そして「英国らしさ」がそこに宿っているのです。
おわりに:一枚のトーストに広がる豊かな世界
イギリス人がパンに塗って食べるものには、それぞれに歴史と文化、個性があります。ただの朝食と思われがちなトーストにも、塗るもの一つで無限のバリエーションが広がる。それが、イギリスのスプレッド文化の奥深さであり、魅力です。
もしイギリスを訪れる機会があれば、ホテルの朝食ビュッフェやティールームで、ぜひいろいろなスプレッドを試してみてください。一見地味ながらも、そのひと塗りに詰まったイギリス人の暮らしと味覚の世界が、きっと新たな発見となるはずです。
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