イギリスのメディアにおける人種報道の偏り──見落とされる被害者と増幅されるステレオタイプ

はじめに 現代社会において、メディアは単なる情報の伝達手段にとどまらず、社会的価値観や政治的議論の形成において強力な影響力を持つ。特に事件報道においては、どの事件をどのように取り上げるかという編集方針が、視聴者や読者の認知や感情、さらには政策や世論の動向にさえ影響を与える可能性がある。 イギリスにおける報道を観察すると、事件の報道において人種による明らかなバイアスが存在することが多くの調査や市民の声から指摘されている。特に、アジア系や黒人の被害者が関与する事件が過小に扱われ、逆に加害者として関与した場合には過度にセンセーショナルに報道される傾向が顕著である。このような報道の偏りは、当該コミュニティに対する根深い偏見や構造的な差別を助長し、社会的分断の火種ともなっている。 本稿では、アジア系および黒人の被害者が報道の中でどのように扱われているのか、逆に白人の被害者がどのような位置づけをされているのかを実例とともに分析し、メディアの構造的課題に切り込む。そして、報道の公平性を確保するための具体的な提言を行いたい。 アジア系被害者:沈黙の中に葬られる声 アジア系イギリス人が被害者となる事件は、メディアで取り上げられることが極めて稀である。例えば、2021年にロンドンで起きたアジア系留学生への暴行事件は、監視カメラの映像がソーシャルメディア上で拡散されたことを受けて一部メディアが報道したが、それ以前は完全に黙殺されていた。 このような対応の背景には、いくつかの構造的要因がある。まず、アジア系市民は「模範的少数民族(Model Minority)」としてのステレオタイプを押し付けられており、「声を上げず、従順で、自己責任で問題を解決する」存在と見なされがちである。このイメージは、彼らが被害者であっても「注目に値しない」とされる要因となっている。 さらに深刻なのは、アジア系が加害者であると報道された際のバランスの崩れである。特に、パキスタン系の一部青年による性的搾取事件(例:ロザラム事件)では、加害者の人種や宗教的背景が強調され、あたかもアジア系コミュニティ全体に問題があるかのような論調が広がった。事件そのものの深刻さは否定しようがないが、その報道の仕方には過剰な一般化と文化的偏見が含まれていた。 黒人被害者:過去の「過ち」による人間性の剥奪 黒人の若者が暴力の被害者となる事件では、報道においてその被害者の「過去」が強調される傾向がある。これは、アメリカにおける黒人男性の報道と同様の構造がイギリスにも存在することを示している。 たとえば、2019年にロンドン南部で刺殺された黒人少年に関する報道では、事件の残虐性よりも彼が過去に友人とSNSで暴力的な言葉を使っていたことが主に取り上げられた。被害者の人格を「完全無欠」でないことにより相殺しようとするこのような報道は、実質的に「自己責任論」を助長し、被害そのものの深刻さを薄めてしまう。 また、「ギャング文化」や「ナイフ犯罪」といった文脈の中に黒人被害者を配置することで、あたかも彼らが「暴力と隣り合わせの存在」であるかのようなイメージが定着してしまう。実際には黒人被害者の多くは何の関係もない一般市民であるにもかかわらず、報道によって彼らの人間性が無視される構造が繰り返されている。 白人被害者:共感を呼ぶ「物語化」の構造 一方、白人の被害者が関与する事件においては、報道のトーンが大きく異なる。彼らの事件は即座に全国ニュースとなり、被害者の生前の写真、家族や友人のコメント、地域社会の追悼などを通して「共感の物語」が構築される。 たとえば、2021年のサラ・エバラードさんの誘拐・殺害事件はその典型である。被害者が白人女性であったこと、加害者が警察官であったという要因が加わり、事件は全国的な議論へと発展した。街頭での追悼集会が広がり、メディアは彼女の人生や人柄を丹念に掘り下げ、「失われた未来」への共感を強調した。 これは決して不当な扱いではないが、同様の扱いが他人種の被害者にも適用されていないことが、報道の公平性に重大な疑念を抱かせる。 なぜ報道に偏りが生まれるのか──メディア構造の問題点 こうした報道の偏りには、いくつかの構造的原因がある。第一に、ニュース編集部の人種的多様性の欠如がある。2020年の「Race and Media」レポートによれば、イギリスの主要ニュースルームにおける編集職の約94%が白人であり、アジア系や黒人のジャーナリストは極めて少数である。 この構造的偏りにより、「誰が被害者として報道に値するのか」という判断が、無意識のうちに白人中心の価値観によってなされてしまうのだ。 第二に、視聴率やクリック数を重視する商業的圧力もある。メディアは「関心を引く物語」として、視聴者にとって「親近感のある(=白人の)被害者」を選びやすく、他人種の被害者はしばしばその共感圏の外に置かれてしまう。 改善への道──公平な報道に向けて このような構造的問題に対しては、いくつかの具体的な対応が考えられる。 結論:見えない被害者の「可視化」をめざして イギリスのメディアにおける人種に基づく報道の偏りは、一朝一夕に解決される問題ではない。だが、それを「無意識の過ち」として放置することは、構造的な人種差別の再生産に加担することを意味する。 アジア系や黒人の被害者が、その人間性や物語を奪われたまま報道の片隅に追いやられる現状は、報道機関の倫理と責任において深刻な課題である。すべての人種・民族が平等に報道され、共感される社会。それこそが、公正な民主主義の土台であるべきだ。 メディアは単なる鏡ではない。社会の一部であり、未来を形作る力を持つ存在である。その責任を果たすために、まずは「誰の物語が語られていないか」に目を向けるところから始める必要がある。

イギリスは何を生産しているのか?

輸入依存の国が直面する「自国生産」の壁と可能性 序章:ポスト・ブレグジットの現実 2016年の国民投票を経て、2020年に正式にEU(欧州連合)から離脱したイギリス。EU離脱によって、関税、物流、人材の移動など多くの障壁が生まれた。この一連の変化は、イギリス経済の根幹にある「輸入依存構造」を改めて浮き彫りにし、同時に「自国で何を作れるのか」という問いを突きつけている。 ブレグジットによって期待された「主権の回復」とは、自国で物を作り、コントロールする経済力の再建だった。しかし現実はそれほど単純ではない。この記事では、イギリスが現在自国で何を生産しているのかを検証し、そこから見えてくる先進国における生産力の限界と可能性について深掘りしていく。 第1章:イギリスの生産構造の実態 食料品の生産事情 イギリスは肥沃な土地を持つ国ではあるが、農業の国内生産は総需要の約60%前後を賄うにとどまる。小麦やジャガイモ、乳製品、牛肉、豚肉といったベーシックな品目は自国で生産されているが、フルーツ、野菜、魚介類の多くはEU圏や他の地域からの輸入に依存している。 特に野菜類は、気候の影響もあり冬季の自給率が著しく低い。ブレグジット後は、スペインやオランダなどEUの主要供給元との取引に遅延やコスト上昇が生じ、店頭から一部の商品が消えるという事態も経験した。 電化製品とハイテク製造 テレビ、冷蔵庫、スマートフォンなどの家庭用電化製品の大部分は、アジア(特に中国、韓国、日本)からの輸入に依存している。イギリス国内には電化製品の大規模生産工場は存在せず、ロジスティクスと販売に特化したサプライチェーンが整備されているに過ぎない。 一方で、航空宇宙や軍需、先端医療機器の分野では一定の製造力を保っている。ロールス・ロイス(航空機エンジン部門)やBAEシステムズといった企業は世界的にも競争力を持っており、ここに限って言えば「製造大国」と言っても過言ではない。 自動車産業:もはや「イギリス車」は幻想? ジャガー・ランドローバー、ミニ、ロータスなどのブランドは「イギリス車」として世界的に認知されているが、その所有構造を見ると現実は異なる。インドのタタ社、ドイツのBMW、中国の吉利汽車など、実質的には外国資本によって運営されている。 さらに部品の多くはEUやアジア諸国からの輸入に依存しており、組立こそ国内で行われていても、サプライチェーンの大半は国外にある。つまり「国産車」とは言い難い。 第2章:なぜイギリスは自国で作れないのか? 労働コストと経済合理性 最大の障害は「コスト」である。先進国では人件費が高く、工場を運営するには莫大なコストがかかる。これは単に賃金の高さだけでなく、労働法、環境規制、社会保障の充実といった要素も関係している。 逆にアジア諸国では労働力が比較的安価であり、製造コストを抑えられる。この「比較優位」によって、グローバル企業はこぞって製造拠点を海外に移してきた。イギリスもこの流れに逆らうことができなかった。 産業空洞化とスキルギャップ 1980年代以降のサッチャー改革により、イギリスは製造業から金融サービス産業への転換を進めた。その結果、工場は閉鎖され、労働者はホワイトカラー職種へと転換を余儀なくされた。この流れは「産業空洞化」と呼ばれ、今や再び製造業に戻そうにも、熟練労働者が不足している。 技能継承が途絶えたことで、いざ製造ラインを立ち上げても「人がいない」という根本的な問題が生じるのである。 サプライチェーンの国際化 現代の製造業は「部品の90%を世界から集め、10%を国内で組み立てる」と言われるほど、サプライチェーンがグローバル化している。その中で特定の国が「すべてを国内で作る」というのは、コスト的にも技術的にも困難である。 第3章:自国生産の再興は可能か? テクノロジーによる突破口 3Dプリンティング、ロボット工学、AIによる自動化といった技術革新は、「高コストな先進国でも製造が可能な未来」を開く鍵となっている。例えば、ロボットが人間に代わって工場で働くようになれば、人件費の壁は低くなる。 イギリス国内でも、再生可能エネルギー機器、ワクチン製造、衛星開発などにおいてハイテク産業が育成されつつある。これらの分野では、自国での一貫した生産が可能になるポテンシャルがある。 地産地消モデルの再評価 コロナ禍とブレグジットによって、サプライチェーンの脆弱性が明らかとなり、地産地消モデルが見直され始めている。都市型農業、屋内栽培、垂直農法などが注目されており、都市の近郊で野菜を生産する「ローカル・フード」戦略が徐々に進展している。 農業や食品加工分野では、輸入に頼らず地域内で完結するシステムの整備が、政策的にも支援されつつある。 第4章:そもそも「何でも自国で作る」は可能なのか? 自給自足は幻想か 近代以降の経済学においては、リカードの比較優位理論が支配的だ。つまり、すべてを自国で作るよりも、得意な分野に特化し、不足分は貿易で補うほうが経済的に合理的だとされる。実際、先進国のほとんどはこの原則に則って発展してきた。 従って、イギリスが「スマートフォンも冷蔵庫も自国で作る」といった構想を実現するのは、理論的にも現実的にも難しい。必要なのは、全品目の自給ではなく、「重要品目の戦略的自立」である。 重要なのは「選択的自給」 医薬品、エネルギー、食料、水、通信機器、軍需品など、国家運営に不可欠な分野については、一定程度の自国生産能力が必要だ。イギリスにとっての課題は、こうした戦略的セクターに集中投資し、自立度を高めることにある。 結論:生産力とは「物を作る力」ではなく「選び取る力」 イギリスが直面している問題は、「物を作れない」ことそのものではなく、「何を作るべきかを決められない」ことである。先進国における生産とは、単なる工場建設ではなく、資源・人材・技術をどう選択的に配分するかという意思決定の問題なのだ。 ブレグジットによって経済的な苦境に立たされている今こそ、イギリスはこの問いに真正面から向き合う必要がある。グローバル経済とどう折り合いをつけつつ、自国に根差した持続可能な生産体制を構築するか。その解答こそが、ポスト・ブレグジットの真の意味での「主権回復」なのである。

労働者階級から上級階級へ:イギリスで階級を超えた成功の実例とその方法

はじめに イギリス社会において「階級」は、歴史的にも文化的にも深く根ざした概念である。上級階級(Upper Class)、中産階級(Middle Class)、労働者階級(Working Class)という社会構造は、今もなお存在し、教育、職業、言葉遣い、住居地など、様々な側面に影響を与えている。 では、このような社会において、生まれながらに労働者階級に属していた人物が、富と名声を得て「上級階級」へと上り詰めることは可能なのだろうか?答えは「はい」だが、それは決して容易な道ではない。本記事では、イギリスで実際に労働者階級から上級階級へと上昇した人物たちの実例を挙げ、彼らがどのような方法でその地位を手に入れたのかを探る。 イギリスの階級構造と「上級階級」の定義 上級階級とは、歴史的には貴族、土地所有者、王族といった存在を指していた。しかし、現代においては、経済的な成功や文化的影響力を持つことで、伝統的な血筋に頼らずとも上級階級とみなされるケースが増えてきた。とはいえ、旧来の「上流意識」や階級の壁は根強く残っており、それを乗り越えるには並外れた努力と運、そして戦略が必要だ。 労働者階級出身で成功した代表的な人物たち 1. アラン・シュガー(Alan Sugar) アラン・シュガーは、若くして中古のラジオや電化製品をトラックで売り歩く仕事を始めた。1970年代には家電ブランド「Amstrad」を創設し、パソコンやオーディオ機器の分野で大成功を収める。BBCの『The Apprentice』というビジネス番組で広く知られるようになった彼は、ビジネス界とメディア界での影響力により、「新興上級階級」の象徴となった。 2. デイヴィッド・ベッカム(David Beckham) ベッカムは労働者階級の中でも特に「フットボール文化」と深く関わる家庭で育ち、若くしてマンチェスター・ユナイテッドでデビュー。その後、レアル・マドリードやLAギャラクシーなどのビッグクラブを渡り歩き、プレイヤーとしての実績だけでなく、ファッション、香水、広告などのビジネスにも展開。彼の一家は今やイギリス社交界でも一目置かれる存在である。 3. ジェイ・ケイ(Jay Kay) – ジャミロクワイのリードシンガー ファンクとアシッドジャズを融合させたバンド「ジャミロクワイ」の中心人物であるジェイ・ケイも、努力と才能で労働者階級から抜け出した一例である。高級不動産を所有し、イギリス中部の農地に巨大な邸宅を建てたことで「新貴族」として知られる。 4. J・K・ローリング(J.K. Rowling) ローリングは「階級」というより「困窮からの脱出」の物語として象徴的な存在だが、労働者階級と密接な関係を持つ生活から、イギリスで最も裕福な女性作家へと変貌を遂げた。上流階級出身ではないが、今ではイギリス文化界・出版界で最も影響力のある人物の一人とされる。 成功への道:労働者階級出身者が用いた方法と戦略 1. 起業とビジネスセンス アラン・シュガーのように、自らの手でビジネスを築いた例は多い。これには、直感とリスクを取る勇気、そして徹底した努力が不可欠である。イギリスでは階級に関係なく起業の門戸は開かれているが、成功には資金、ネットワーク、教育の壁を乗り越える必要がある。 2. スポーツや音楽などの才能による突破 スポーツ(特にサッカー、ボクシング)や音楽は、階級を問わずチャンスを得られる分野の一つ。労働者階級からプロのサッカー選手になるケースは多く、才能があれば階級を一気に飛び越えることも可能である。 3. 教育の利用と知的資産の構築 オックスフォードやケンブリッジといったエリート校への進学は、労働者階級出身者にとって「パスポート」とも言える存在である。近年では奨学金制度も整ってきており、努力次第で階級移動が可能になっている。 4. メディアとブランド力の活用 デイヴィッド・ベッカムやローリングのように、自身をブランド化し、メディアを活用することで経済的・文化的地位を高めるケースもある。SNSやインターネットの普及によって、自己プロモーションの機会は増えており、現代ならではの成功手法とも言える。 階級移動の限界と課題 とはいえ、イギリス社会における階級の壁は完全には崩れていない。たとえ経済的成功を収めたとしても、上級階級特有の文化資本(アクセント、教育背景、人脈など)が不足していると「異物」として見なされることもある。 上級階級の中でも伝統的な貴族層とは未だに距離があり、「新しい金持ち(nouveau riche)」と揶揄されることも少なくない。 まとめ:可能性はあるが容易ではない イギリスにおいて、労働者階級出身者が上級階級へと成り上がることは可能である。ただし、それは才能・努力・戦略・運のすべてを兼ね備えた場合に限られる。そして、その成功には「文化資本」や「社会的承認」など、見えにくい壁を超える必要がある。 それでも、シュガー卿やベッカムのような事例は、イギリス社会における柔軟性と可能性を示している。彼らの成功は、「生まれよりも行動が階級を決める」という現代的価値観の象徴でもあるのだ。

イギリスで日本人が上流階級になるための必勝ガイド

序章:なぜ「上流階級」なのか? イギリスは今なお「階級社会」であり、「Class」という言葉の重みは現代にも強く残っています。資本主義が成熟した国でありながらも、血統、教育、言語、礼儀、生活様式に至るまで、階級的要素が人間関係やチャンスに強く影響します。日本人がこの閉鎖的な上流階級へ入るには、文化・経済・人脈の3軸での戦略的な行動が求められます。 第1章:イギリスの階級構造を理解せよ 1-1. 上流階級とは誰か? イギリスの上流階級(Upper Class)は、伝統的に以下の3タイプに分かれます: 1-2. 中産階級・労働者階級との違い 第2章:文化資本の獲得 ― 英国的振る舞いの習得 2-1. 英国上流の「作法」を学ぶ 2-2. RP英語(Received Pronunciation)を身につける 2-3. クラブとサークルに所属せよ 第3章:教育で切り開く ― 子どもをオックスブリッジへ 3-1. パブリックスクール戦略 3-2. オックスフォード・ケンブリッジへの進学 第4章:経済力の示し方 ― 上流は「使い方」で測られる 4-1. 資産の「見せ方」を心得よ 4-2. 資産の運用と相続対策 第5章:結婚と人脈 ― 社会的接続の拡大戦略 5-1. 結婚は階級移動の大チャンス 5-2. 紹介ネットワークの活用 第6章:日本人であることを「強み」にする 6-1. 日本文化への敬意と好奇心は根強い 6-2. 国際派としての存在感 第7章:避けるべきNG行動リスト 終章:日本人が英国上流階級に入るという夢 完全な英国貴族にはなれなくとも、「英国的上流の文化的文脈に溶け込む日本人」として、確固たる地位を築くことは可能です。それには、「本物らしさ」「控えめな自信」「審美眼」「学び続ける姿勢」が欠かせません。 階級社会の扉は簡単には開かない。だが、一度信頼を勝ち取れば、その中は驚くほど温かく、結束が強く、そして代々に続くものとなるでしょう。

イギリス人が驚く日本人の当たり前の行動とは?~文化のギャップが生む誤解と発見~

はじめに 日本とイギリスは、互いに礼儀正しく歴史ある文化を大切にする国として知られています。しかし、両国の文化や社会の仕組み、価値観には意外なほど大きな違いがあります。日本では日常的に行われている行動が、イギリス人にとっては驚きや戸惑いを感じさせることも少なくありません。本記事では、日本では当たり前でもイギリスでは「非常識」と受け取られがちな日本人の行動について、具体的な事例とその背景を紹介しながら考察していきます。 おわりに 文化の違いは、しばしば誤解や驚きを生みますが、それは同時に新たな視点を与えてくれる貴重な体験でもあります。日本の「当たり前」がイギリスでは通用しないこともありますが、そこから異文化理解が始まります。重要なのは、違いを尊重し、お互いに歩み寄る姿勢です。国際社会に生きる現代人として、異なる価値観を受け入れる柔軟さを持つことが、よりよい関係構築への第一歩となるでしょう。

噂を「広める自由」と「広めない責任」──香港発の日本滅亡説をめぐって考える

序文:噂はいつも静かに広がっていく 現代社会において、情報が持つ力はかつてないほど大きくなっている。SNS、YouTube、Telegramなどのチャットアプリ、そして非公式メディアを通じて、どこかで生まれた「噂」が、言語や国境を超えて瞬く間に拡散する時代だ。その影響は、時に善にもなれば、害にもなる。 今、イギリスを含む海外の一部の香港人コミュニティで、「2025年7月に日本が滅亡する」といった、荒唐無稽な噂がまことしやかに語られているという報告が複数寄せられている。しかも、それが個人的な信仰や占星術的な興味といった域を超え、あたかも予言や警告のような形で他人に伝えられていることが、一部の日本人居住者や旅行者を戸惑わせ、困惑させているのが実情だ。 「何を信じるか」は個人の自由だ。しかし、「信じたことを周囲に広める行為」は、それが誰かに影響を与える以上、自由とは別の文脈で語られなければならない。とくに、その内容が誤解や不安を煽り、社会的不和を生むものである場合は、発信者の責任が問われる。 本稿では、この「日本滅亡説」がいかに非合理であり、また広めるべきではない理由を丁寧に説明した上で、現在の香港の diaspora(離散)と日本との無関係性、そして情報を扱う際の「倫理」について、深く掘り下げていきたい。 本論①:2025年7月に日本が滅びる?──根拠のない噂の構造 まず初めに、この噂の核となっている「2025年7月に日本が滅亡する」という主張について、冷静に検討してみよう。現在確認されている限りでは、この説に対して以下のような説明がなされている。 いずれの主張にも共通しているのは、客観的な根拠や検証可能なデータが存在しないということだ。そして、それらの話が「日本国内」ではなく、「海外、特に香港人コミュニティ」から語られていることが特徴的である。 もちろん、「何を信じるか」は個人の自由である。霊的存在を信じる人もいれば、天体の動きに意味を見出す人もいる。それ自体は否定されるべきものではない。しかし、問題はそれを他人に共有し、「不安を煽る」ような話し方をすることにある。 人間の心理は不安に敏感だ。とくに移民や亡命者など、人生において大きな不確実性を抱える人々は、「何かが起こるかもしれない」という話に惹きつけられやすい。だが、その不安をさらに増幅させるような噂の流布は、決して社会的に望ましい行為とは言えない。 本論②:香港の現実と diaspora(離散)の痛み では、なぜこのような噂が香港の一部の人々から出てくるのだろうか。 背景には、2019年以降の香港情勢がある。国家安全維持法の導入以降、言論や報道の自由が大きく制限され、多くの香港市民が他国への移住を選択せざるを得なかった。イギリスは特にその移民先の一つとして人気があり、現在でも多くの香港人がロンドン、マンチェスター、バーミンガムなどに新たな生活基盤を築いている。 その過程で、多くの香港人が「国家」や「制度」に対する深い不信を抱くようになったことは否定できない。中国政府への懐疑はもとより、かつて信じていた香港の自治や自由に対しても、深い喪失感と怒りが渦巻いている。 こうした心理的な空白を埋める手段として、「新たな秩序」や「世界の変化」への期待が生まれることは珍しくない。占星術や予言、あるいは陰謀論がその対象になりやすいのは、歴史的にも証明されている。 つまり、「2025年7月に何かが起こる」という説を信じたいという欲望は、「このままではいけない」「今の世界は歪んでいる」という心の叫びの裏返しでもあるのだ。 このこと自体を責めるつもりはない。むしろ、そうした感情の複雑さに理解を示しつつも、その不安を他国や他人に投影しないでほしいというのが、我々日本人としての切なる願いである。 本論③:日本は滅亡していないし、その予定もない 改めて述べるが、日本は現在、災害対策、経済、安全保障、あらゆる観点から国家運営を継続している民主主義国家である。確かに少子高齢化や経済格差など、多くの課題を抱えているのは事実だ。だが、それを「滅亡」と表現するのは、あまりにも非科学的で、誤解を招くものである。 災害予測に関しても、日本は世界でも有数の研究体制を持つ国であり、地震や津波、気象の研究に関しては極めて高度なモデルとシミュレーション技術が存在している。もし仮に2025年7月に何か大きな自然災害が予見されているのであれば、それは政府、学会、国際社会を挙げてすでに周知されているはずだ。 にもかかわらず、あたかも「何かを隠している」というような陰謀論的視点から、日本の滅亡が語られることは、まったく根拠がなく、むしろ迷惑であるとさえ言える。 結論:広める前に、もう一度考えてほしい 私たちは、情報の海に生きている。その中で、自分にとって意味のある情報、感情を揺さぶる情報に出会ったとき、それを「共有したい」と思うのは人間の自然な欲求だ。 だが、その欲求に任せて無責任に不安や恐怖を拡散すれば、それは単なる「情報共有」ではなく、「社会的損害の拡大」につながる。そして、それは信じている当人の評判や信頼性をも、長期的には蝕むことになる。 香港の人々が置かれてきた状況には、深い理解と共感を覚える。それでもなお、言いたいことがある。 日本は滅亡していないし、その予定もない。そして、日本と香港の運命は、まったく別の歴史と論理の上に成り立っている。 もし何かを信じるのであれば、それはあなたの心の中で育ててほしい。だが、それを他者に「押しつける」ことや、「拡散」することには慎重であってほしい。 世界は、今も不安定だ。だからこそ、ひとりひとりが「言葉の使い方」に責任を持つ時代が、すでに始まっているのだ。

「左耳ピアス=ゲイ」は本当か?都市伝説とファッションの境界線を探る

はじめに:ファッションに潜む「意味」の歴史 人は古来より、衣服や装飾品を通して自己表現を行ってきました。ファッションには単なる美的・実用的な意味以上に、時代背景や社会的なメッセージ、時には無言の抗議やアイデンティティの表明といった多様な意味が込められることがあります。 中でも耳に着けるピアスは、その位置や数、デザインによってしばしば意味が解釈されることがありました。1980年代から1990年代にかけて、アメリカやイギリスなどの西洋社会で広まった「左耳にピアス=ストレート」「右耳にピアス=ゲイ」といった“耳の位置と性的指向の関係”を示す俗説は、その代表例です。 本稿では、この「左耳ピアス=ゲイ」説の由来を探りながら、それがどのように都市伝説として形成され、流布されていったのかを分析します。また、そうした文化的誤解が生まれた背景にある社会状況、LGBTQ+コミュニティの歴史、そして現代におけるファッションの多様性についても考察します。 1. 「耳の位置」に意味がある?ピアスとセクシュアリティの結びつき 1980~1990年代、西洋では男性がどちらの耳にピアスをしているかによって「性的指向を示している」と解釈されることがありました。特に都市部の若者文化やサブカルチャーの中で、 という認識が噂されるようになりました。 ただし、この左右の区別には地域差や時代による揺れがあり、「右耳がゲイサイン」という説もあれば、その逆を言う人もいました。つまり、元から一貫したルールがあったわけではなく、あくまで“何となくの共通認識”あるいは“噂話”として拡がっていったものだったのです。 では、なぜこうした都市伝説が生まれたのでしょうか? 2. 都市伝説の背景にある「隠れたサイン」文化 この耳の左右に関する説が一部で信じられるようになった背景には、LGBTQ+コミュニティの歴史的事情があります。 20世紀の大半において、同性愛は社会的に差別され、法的にも罰せられる対象でした。そのため、同性愛者たちは自身のアイデンティティを隠しながら生活せざるを得ず、密かに仲間を識別するための「非言語的なサイン」が生まれていきました。 ハンカチコード(Hanky Code) その代表的な例が「ハンカチコード」と呼ばれるものです。1970年代のアメリカ・サンフランシスコのゲイカルチャーから広まったもので、特定の色や柄のハンカチを後ろポケットに入れることで、自分の性的嗜好やプレイスタイルを暗に示す方法でした。 こうした文化があったことから、「耳のピアスの位置」もまた、同様の“隠されたサイン”なのではないか、という推測が噂として広がっていった可能性が高いと考えられます。 しかし、ハンカチコードのように実際にゲイコミュニティ内部で共有されていた明確なルールと異なり、「耳の位置」に関するルールは、明文化された記録や当事者による証言がほとんど残っておらず、信憑性に乏しいのが実情です。 3. 差別と偏見の中で生まれた“レッテル貼り” 「右耳にピアスをしている男はゲイ」などという話が広まった背景には、差別的なまなざしと無知が混在していた可能性も指摘されています。 1980年代当時、特に男性がピアスをすること自体がまだ一般的ではなく、どこか「女性的」あるいは「反主流的」と見なされがちでした。そうした中で、男性のピアスというファッション表現に対し、「どの耳につけるか」によって意味を見出そうとする動きが生まれました。 そして同時に、「ゲイであること」を否定的に捉える文化が根強く存在していたために、「右耳にピアス=ゲイ」という噂が、いわば“他者を揶揄する手段”として広がってしまったとも考えられます。 このように、耳の位置と性的指向を結びつける俗説は、ファッションに込められた意味というよりも、むしろ偏見や差別の温床として利用された面があるのです。 4. 日本への影響と文化的誤解 このような都市伝説は、アメリカやイギリスだけに留まらず、日本にもある程度輸入されました。 1990年代以降、日本でも「右耳にピアスをしている男性はゲイかも」といった噂がファッション誌やティーン文化の中で散見されるようになります。しかし、当時の日本ではそもそもLGBTQ+に関する社会的理解が浅く、そうした噂も多くの場合、好奇心やからかい半分で語られるものでした。 現代から見れば明らかに無知に基づくものですが、当時はインターネットもまだ発展途上であり、正確な知識にアクセスする手段が限られていたため、都市伝説的な「耳の位置=セクシュアリティ」の信仰が妙に信じられていたのです。 5. 現代におけるピアスと性的指向の“無関係性” 2020年代の今、ピアスの位置と性的指向を関連づけて考える人はほとんどいません。 それは、次のような社会の変化が背景にあります。 ・LGBTQ+への理解の進展 近年、世界中で性的マイノリティに対する理解が深まり、差別やスティグマに対する啓発が進んでいます。性的指向を表すサインとしてピアスを用いる必要はもはやなくなり、またそのように分類する行為自体が差別的と認識されるようになっています。 ・ファッションの自由化 ファッションの多様化が進み、男性でもピアスをすることが一般的となった現代では、「どの耳に着けるか」を気にする人はほとんどいません。性別や性的指向を超えて、自由に装飾を楽しむ時代になっています。 ・ジェンダーレスと個人主義の浸透 ジェンダーレスな価値観が広がる中で、「男だから」「女だから」といった固定的な価値観自体が時代遅れとなりつつあります。今やピアスもその人の個性のひとつとして受け入れられています。 6. 都市伝説から学ぶべきこと:無意識の偏見に気づくために 「右耳にピアス=ゲイ」といった俗説は、たとえ冗談であっても、特定の人々に対して偏見やスティグマを助長する可能性があります。だからこそ、私たちはこうした都市伝説が持つ背景や意味を正しく理解する必要があります。 ファッションを「意味付け」しすぎることは、時に他者の自由を侵害する行為にもなり得るのです。 また、このような俗説が流布されることそのものが、「個人の自由を尊重する社会」にとっていかに有害であるかを再認識させてくれます。 結論:「ピアスの耳」で人を判断しない社会へ 「左耳にピアス=ゲイ」という説は、1980~1990年代の西洋で生まれた都市伝説に過ぎません。確固たる歴史的根拠はなく、実際にLGBTQ+コミュニティで共有された明確なサインだったわけでもありません。 むしろ、このような俗説は、無知や偏見、そしてファッションを通じた他者への「ラベリング」欲求によって広がっていったものだと考えられます。 現代に生きる私たちは、こうした過去の文化的誤解を乗り越え、ファッションを自由な表現として享受できる社会を目指すべきです。 ピアスをする耳の左右に、意味はありません。大切なのは、それを着ける人の個性と意思。そして、私たちがその自由を尊重し、無用な“レッテル”を貼らない態度を持つことです。 ※この記事は文化的・歴史的背景に基づく情報をもとに執筆されており、特定の価値観や性的指向を支持・否定する意図は一切ありません。

パレスチナ人を受け入れる国々の現状と課題 〜国際社会の対応とその限界〜

はじめに 2023年10月以降、ガザ地区でのイスラエルとハマスの衝突はかつてない規模で激化し、数万人の死傷者、そして百万人規模の国内避難民が生まれました。医療体制や水・電気などインフラも壊滅的打撃を受け、ガザ地区における人道的危機は国際社会に深刻な課題を突きつけています。 このような状況の中、多くのパレスチナ人が国外への脱出を余儀なくされ、一部の国が受け入れを表明しました。しかし、その対応には地域ごとの差が顕著であり、特にアラブ諸国の姿勢や欧米諸国の制度的制限は複雑な政治背景を反映しています。本稿では、各国の対応状況を整理し、背景にある政治的・社会的要因を読み解くとともに、国際社会におけるパレスチナ人受け入れの可能性と課題を探ります。 第1章:パレスチナ人の受け入れを表明・実施した国々 カナダ:人道と制度のバランスを模索 カナダは2024年10月時点で、ガザからのパレスチナ人に対する人道的支援の一環として、約4,245人のビザ申請を受け付け、そのうち334人がすでに到着しています。トルドー政権は一貫して難民政策に寛容な姿勢を示してきましたが、今回の対応は「人道的再定住プログラム」の延長線上にあると言えます。 ただし、受け入れ人数が限られていること、手続きが煩雑で時間を要する点などから、国内外で「対応の遅さ」が指摘されています。 スペイン、アメリカ、スコットランド:受け入れ検討中の立場 欧米諸国の中でも、スペイン、アメリカ、スコットランドはガザの状況を受け、難民受け入れの検討を進めています。スペインでは市民レベルでの支援が活発であり、自治州が独自に受け入れを申し出る動きもあります。 アメリカの場合、バイデン政権はパレスチナ人の支援を公的に表明しているものの、実際の受け入れには消極的な姿勢が見られます。移民問題に敏感な国内世論を考慮し、現実的な受け入れ枠の設計は難航しています。 インドネシア:イスラム連帯による一時受け入れ イスラム教徒が多数を占めるインドネシアは、2025年4月にガザの負傷者や孤児を対象に、1,000人の一時的な受け入れを表明しました。これはインドネシアの国民感情や政府の外交姿勢を反映したもので、「恒久的移住」ではなく「一時避難」の性格が強い対応です。 オーストラリア:一部受け入れも永住は保証されず オーストラリアは、2024年10月から2025年8月の間に2,922人のパレスチナ人にビザを発給しましたが、これらの多くは学生・観光などの短期滞在ビザであり、難民としての恒久的保護にはつながっていません。これにより、受け入れられた人々が合法的に滞在を続けることの困難さが問題視されています。 フランス:高い保護率を示すも、制度の枠外に不安定さも フランスでは2024年初頭に190人のパレスチナ人が難民申請を行い、そのうち90%以上が何らかの形で保護を受けました。フランスの庇護制度は比較的寛容であり、難民条約を尊重する方針が反映されていますが、フランス国内の治安や社会統合への懸念が根強く、今後もこの水準を維持できるかは不透明です。 第2章:受け入れに消極的な国々の事情 エジプトとヨルダン:地政学的リスクへの警戒 パレスチナに隣接するエジプトとヨルダンは、表面的にはパレスチナ支持を掲げながらも、ガザからの難民受け入れには極めて消極的です。理由は「パレスチナ人の恒久的追放」というイスラエルの戦略を受け入れることになりかねないためで、国内の政治的安定を最優先する立場から、国境の封鎖すら辞さない構えを見せています。 両国は過去に多数のパレスチナ難民を受け入れた歴史を持ちますが、それが自国の社会構造や治安に深刻な影響を与えたことへの反省が根強くあります。 他のアラブ諸国:民族的連帯と国家主義のジレンマ サウジアラビア、レバノン、クウェートなどのアラブ諸国もまた、原則としてパレスチナ人の大規模受け入れに消極的です。これは単に経済や治安の問題にとどまらず、「パレスチナ人に祖国を放棄させるべきではない」という政治的・宗教的信念によるものです。 中東諸国においては「一時的保護」の提供はあっても、「市民権付与」や「永住権の提供」は政治的にきわめて難しい判断とされています。 第3章:イギリスにおけるパレスチナ人の現状 人口と分布:存在はあるが「見えにくい」 イギリスにおけるパレスチナ人の人口は、統計上のばらつきが大きいものの、2014年で約5,000人、2017年には推計で6万人にまで増加したとする情報もあります。主にロンドン、マンチェスター、オックスフォードなどの都市に集中しており、医師・学者・技術者などとして英国社会に貢献している例も少なくありません。 しかし「パレスチナ人」としての国籍・市民権が国際的に明確に定義されていないため、彼らの実数や属性が把握されにくいという課題があります。 難民政策:他国との温度差 イギリスはこれまで、シリア難民(特に子どもや女性)やウクライナ避難民に対しては迅速な対応を見せてきました。しかしパレスチナ人に対しては、政治的配慮からか極めて慎重な姿勢を保っています。 2025年2月、ガザから逃れてきたある家族が一時滞在許可を得た際には、「制度の抜け穴を利用した」とする政治家の批判が報道され、パレスチナ人支援団体からは「二重基準だ」と非難の声が上がりました。 また、「コミュニティ・スポンサーシップ制度」も、主にシリア難民を対象とした制度であり、パレスチナ人への適用例はほとんど見られません。 第4章:国際社会の支援の実情と課題 国連機関の対応 国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、数百万人におよぶパレスチナ難民の教育・医療・食糧支援を担ってきました。しかし、近年は主要ドナー国であるアメリカやカナダによる資金削減、またガザ紛争後のハマスとの関係をめぐる疑義によって、支援体制が大きく揺らいでいます。 こうした状況は、受け入れ国にとっての負担増加を意味し、難民政策の根幹を揺るがしています。 移民政策と政治的意図の交錯 欧米諸国では、移民政策がしばしば内政問題として扱われ、選挙戦や政党間の駆け引きに利用される傾向があります。そのため、「人道支援」としての受け入れが政争の具になり、実効的な制度整備が進みにくい状況です。 結論:国際的連帯の試練と今後の展望 パレスチナ人への支援と受け入れをめぐって、国際社会は今、真の連帯とは何かを問われています。表向きの支援表明とは裏腹に、受け入れの実態はごく限定的であり、制度的・政治的な壁が高く立ちはだかっています。 特にイギリスのような伝統的な難民庇護国でさえ、パレスチナ人に対しては慎重な姿勢を崩していません。このような状況を打開するには、単なる一時的受け入れではなく、「恒久的保護」や「市民権への道筋」といった根本的な制度の見直しが求められます。 また、パレスチナ国家の承認問題や、イスラエルとの複雑な関係も影を落とし、支援が政治問題化しやすい現実もあります。とはいえ、目の前で命を落とし、未来を閉ざされている数十万の人々に対して、国際社会が責任を果たすべき時期は、まさに今です。

イギリスとヨーロッパ諸国の防衛費増額と第三次世界大戦の可能性

はじめに 2020年代後半に入り、国際情勢はかつてないほど緊迫化している。ロシアによるウクライナ侵攻(2022年以降)は、ヨーロッパ全体の安全保障に対する認識を大きく揺さぶり、多くの国々が長年維持してきた「戦後秩序」の再構築を迫られることとなった。このような背景の中、イギリスをはじめとするヨーロッパ諸国は、相次いで防衛費の大幅な増額を決定している。 本記事では、イギリスおよびヨーロッパ諸国における防衛費の増額の背景、具体的な動向を整理するとともに、それが第三次世界大戦に発展する可能性について、歴史的・地政学的な観点から検証していく。 イギリスの防衛費増額の背景 歴史的背景 イギリスはNATO創設以来、常に西側諸国の中心的な軍事的存在であった。しかし、2008年のリーマン・ショックやその後の緊縮財政の影響により、2010年代には防衛費の削減が続いた。だが、ロシアの侵攻、中国の軍拡、中東情勢の不安定化などを背景に、2020年代に入って再び防衛費を見直す機運が高まった。 近年の動向 2024年、イギリス政府は防衛費をGDPの2.5%まで引き上げる方針を発表し、2025年にはそれをさらに3%に近づけるという声明を出した。これにより、イギリスの年間防衛予算は700億ポンドを超える規模となる見通しであり、冷戦期以来の高水準である。 防衛費の増加は、戦闘機「テンペスト」の開発、宇宙防衛能力の拡充、AIと無人兵器の導入、核兵器更新計画など、多岐にわたる分野に使われている。イギリスはまた、ポーランド、バルト三国、スウェーデンとの軍事協力を強化し、NATO内での主導的地位を維持しようとしている。 ヨーロッパ諸国における防衛費の増額 ドイツの大転換 ドイツは長年、戦後憲法の影響もあり、軍事力の行使に慎重だった。しかし、ロシアによるウクライナ侵攻を受け、2022年に「ツァイトヴェンデ(時代の転換)」と呼ばれる歴史的演説を行い、連邦軍に対する1000億ユーロの特別予算を設定した。 2025年時点で、ドイツはGDP比2%の防衛支出を達成しており、これはNATO基準を初めて満たす動きである。さらに、自国の軍備だけでなく、ウクライナへの兵器供与や東欧への部隊展開も積極的に行っている。 フランスの軍事戦略 フランスは伝統的に独自の核戦力と軍産複合体を有しており、地中海・アフリカ地域における影響力を保持してきた。マクロン政権は宇宙軍設立やサイバー防衛強化に加え、2024年に総額4130億ユーロの7カ年軍事予算計画を発表し、今後10年間で主要装備の大幅な更新を行うとしている。 北欧・東欧の警戒感 バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)およびポーランド、フィンランド、スウェーデンは、ロシアの脅威に最も敏感に反応している。特にポーランドは、陸軍戦力をEU最大規模にまで拡張しており、2025年にはF-35の配備も開始する。 北欧諸国は、NATO加盟(特にフィンランド・スウェーデンの新規加盟)を通じて、域内防衛の枠組みを強化している。 防衛費増額は「第三次世界大戦」の予兆か? ここで、懸念されるのが「過剰な軍拡が第三次世界大戦につながるのではないか?」という点である。以下にその可能性をいくつかの視点から検証してみよう。 地政学的な対立構造の深化 現在の国際構造は、以下のような「多極化構造」に向かっている。 この三つ巴の対立構造は、冷戦期の「米ソ二極構造」よりも不安定であり、予測不能な要素を多く含んでいる。特に、情報戦、経済制裁、代理戦争など、従来型の戦争とは異なる「グレーゾーン戦」の拡大が、新たな軍事衝突を誘発する可能性がある。 核兵器と抑止の限界 冷戦期においては「相互確証破壊(MAD)」が核戦争の抑止力として機能していたが、現在はより多様な戦争形態が存在しており、核抑止が完全な安全保障を提供していない。ロシアがウクライナ戦争で戦術核使用を示唆したことは、核のタブーが崩れつつある兆候である。 中国も、台湾有事をめぐってアメリカとの核バランスを再構築しつつあり、偶発的な衝突が地域紛争を世界大戦に発展させる懸念は拭えない。 経済と社会の不安定化 軍事費の増額は、当然ながら国家財政に重い負担をかける。ヨーロッパ諸国の中には高齢化、社会保障費の増大、エネルギーコストの高騰など、他にも多くの課題を抱えている国が多い。国民生活を圧迫する中で軍備拡張が進めば、社会的な不満や極右・極左勢力の台頭を招き、国内政治の不安定化がさらなる外交的緊張を生む可能性がある。 今後のシナリオ 最悪のシナリオ:限定戦争から全面衝突へ 仮にロシアがバルト三国へ侵攻し、NATOがこれに軍事的に対応した場合、条約上「対NATO全体への攻撃」とみなされ、集団的自衛権が発動される。これがきっかけでロシアとNATOが全面戦争に突入し、さらに中国が台湾に対して武力行使を開始すれば、複数の戦線が同時に発生する可能性がある。 ここで核兵器が用いられた場合、人類史上初の「核を含む世界大戦」となる可能性も否定できない。 中間シナリオ:冷戦的対立の長期化 全面衝突には至らずとも、西側諸国と中露との対立が長期化し、各国が軍拡を続けることで「第二の冷戦」が定着する可能性も高い。軍事的緊張は高止まりし、代理戦争やサイバー戦争が頻発するだろう。このシナリオでは、世界経済は分断され、技術覇権・通貨覇権をめぐる争いが激化する。 結論:軍拡が意味するもの イギリスをはじめとするヨーロッパ各国の防衛費増額は、単なる軍備拡張ではなく、現在の国際秩序の不安定さに対する「保険」であるとも言える。だが、その「保険」が新たな火種となる危険も含んでいる。 第三次世界大戦の可能性は、決してゼロではない。それは「一瞬の誤算」や「偶発的衝突」が引き金となることが多いからだ。軍拡が平和への抑止力である一方、過剰な軍拡は緊張の悪循環を生むことを、歴史は何度も示してきた。 現在は、いわば「歴史の分岐点」にある。我々はその岐路において、冷静さと外交的知恵を持ち、再び世界が悲劇の連鎖に陥らぬように導かねばならない。

イギリスに成金が少ない本当の理由――今なお社会に根を張る階級制度の実像

はじめに イギリス社会を理解するうえで避けて通れないのが、「階級(class)」という概念である。現代の民主主義国家において法的な階級制度は存在しないが、イギリスでは今なおこの階級意識が日常のあらゆる場面で影響を及ぼしている。とりわけ「成金(nouveau riche)」、つまり急激に富を得た新興の金持ちに対する冷たい視線は、この階級社会の構造を象徴している。本稿では、イギリス社会における階級制度の起源、現代におけるその影響、成金に対する評価、経済的成功の限界、そして今後の可能性について多角的に深掘りしていく。 第1章:階級社会としてのイギリスの成り立ち イギリスにおける階級社会の根は中世にまでさかのぼる。封建制度において王とその臣下である貴族たちが土地を所有し、庶民や農民を支配する体制が築かれた。産業革命を経て資本家や労働者階級が登場したものの、土地を持つことが社会的地位を象徴するという構造は基本的に変わらなかった。 この伝統的な構造の中で、貴族や上流階級は「Old Money(古い金)」としての威信を保ち続けた。資産の多くは土地、不動産、相続財産などによって形成されており、その保有の継続が社会的地位と強く結びついていた。つまり、単なる「金持ち」であることよりも、「どのようにその富を得たか」が重視されてきたのである。 第2章:「Old Money」としての上流階級の実態 現在でも、イギリスの土地の多くは少数の貴族や伝統的な名家によって所有されている。たとえばデヴォン州やスコットランド高地の広大なエステート(荘園)は今も世襲で管理されており、観光や農業、不動産収入などから安定した富を生んでいる。 さらに、オックスフォード大学やケンブリッジ大学といった名門教育機関に代々通う家系は、「文化資本」としての教養とネットワークを維持し続けている。こうした伝統的なエリート層は、政治、メディア、司法、ビジネスといった分野でも影響力を持ち、イギリス社会の要所を支配している。 このような人々は、クラブや社交界、習慣や発音(Received Pronunciation)などでも独特の世界観を形成しており、部外者が容易に入り込めるものではない。彼らにとって「上流階級になる」とは、単に経済的に成功することではなく、代々の教養、伝統、立ち居振る舞いを含むトータルな文化的素養を意味している。 第3章:なぜイギリスには「成金」が定着しないのか 現代イギリスでも、金融業界、IT起業家、プロスポーツ選手、YouTuberなど、新たな分野で一気に富を得る人々が現れている。たとえば、ロンドンのケンジントンやチェルシーには、アラブ諸国、ロシア、中国などから移住してきた新興富裕層が高級不動産を購入し、豪奢な暮らしを営んでいる。 しかし彼らが「社会的に受け入れられているか」といえば、答えは否である。イギリス社会では、伝統的なクラブへの加入には推薦が必要であり、家柄や教育歴が重視される。単に金があるという理由だけでは、名門クラブに入会することも、エスタブリッシュメントに加わることも難しい。 また、英語の発音や服装、趣味(たとえば狩猟やクラシック音楽)、さらには紅茶の淹れ方に至るまで、「正しい上流階級の作法」が求められる。こうした暗黙の文化的規範は新興の成金にとって高いハードルとなる。 第4章:階級を超えることは可能か? イギリスでは、法律上は誰もが平等であり、教育の機会も広く提供されている。政府は起業支援やスタートアップ促進にも力を入れており、実際に評価額10億ドル超のユニコーン企業も数多く誕生している。 しかし、社会的な上昇移動(social mobility)は依然として難しい課題である。名門パブリックスクール(実質的には私立校)への入学には高額の学費が必要であり、その先にある名門大学やエリート職業への道は、依然として「旧家の子弟」によって占められている。 たとえ経済的に成功しても、階級的承認を得るには、子どもの教育、結婚相手の家柄、言語や趣味、さらには付き合う人々に至るまで、階級的な要素をそろえる必要がある。つまり、成功とは単なる金銭的なものではなく、「文化的統合」が鍵を握るのである。 第5章:今後の展望――階級意識の変化はあるのか? 近年、イギリスでも階級の固定化や不平等に対する批判が高まりつつある。若い世代を中心に、伝統的な価値観への反発も強く、階級に縛られないライフスタイルを追求する動きも出てきている。インターネットやSNSの普及により、文化や情報が民主化され、これまで以上に多様な価値観が共有されるようになってきた。 また、環境問題やジェンダー平等など、従来の階級とは関係のない社会課題に対する活動を通じて、新たなリーダーシップ像が生まれてきている。とはいえ、依然として「Old Money」の影響力は強く、根本的な構造変化には時間がかかるだろう。 結論:イギリス社会における「成功」とは何か イギリスは、一見すると自由で開かれた社会に見えるが、その内側には長い歴史に裏打ちされた階級意識が厳然と存在している。「成金」が社会的に評価されにくいのは、単なる偏見ではなく、文化的・歴史的背景に根差した構造的な問題である。 真の成功とは、単に富を得ることではなく、「社会的に認められる」こと、すなわち文化、教養、伝統をも含む包括的な資産を持つことを意味する。イギリス社会における成功は、今もなお「階級」というフィルターを通して評価される。これは、現代においても変わらぬイギリスのもう一つの顔である。