
第二次世界大戦において、日本とイギリスの関係は戦前から戦後にかけて大きく変化しました。本記事では、両国の関係を時系列に沿って詳しく解説します。
1. 戦前の関係(19世紀末~1930年代)
日英同盟(1902年)
19世紀末、日本とイギリスはロシア帝国の脅威に対抗するために接近しました。その結果、1902年に日英同盟が締結され、両国は軍事的な協力関係を築きました。この同盟のもとで、日本は**日露戦争(1904-1905)**を戦い、勝利しました。この戦争は日本の国際的地位を向上させるとともに、イギリスにとっても極東におけるロシアの影響力を抑える大きな役割を果たしました。
第一次世界大戦(1914-1918)
第一次世界大戦が勃発すると、日本は日英同盟を理由にイギリス側で参戦しました。日本はドイツ帝国の権益を狙い、中国の山東半島および太平洋の南洋諸島を占領しました。日本の参戦はイギリスにとって有益でしたが、戦後、日本の勢力拡大がイギリスにとって新たな懸念となりました。
日英同盟の解消(1923年)
戦後、アメリカの影響力が強まり、ワシントン会議(1921年)で日英同盟は1923年に正式に解消されました。この決定は日本とイギリスの関係悪化の始まりとなりました。
2. 戦争前の対立(1930年代)
満州事変(1931年)と国際的孤立
1931年、日本は満州事変を起こし、満州を占領しました。これに対し、イギリスを含む国際社会は日本を非難し、日本は次第に国際的に孤立していきました。
第二次中日戦争(1937年~)
1937年、日本は中国との戦争(第二次中日戦争)を拡大しました。イギリスは中国(特に蒋介石政権)を支援し、これが日英関係の決定的な悪化につながりました。
3. 第二次世界大戦(1941年~1945年)
日英戦争の勃発(1941年)
1941年12月8日、日本は真珠湾攻撃を行い、同時にイギリス領の香港、マレー半島、シンガポールにも攻撃を仕掛けました。これにより、日本とイギリスは正式に交戦状態に入りました。
イギリス領の占領
- 1941年12月25日:日本が香港を占領
- 1942年2月15日:日本がイギリスの拠点シンガポールを陥落させる(「シンガポール陥落」)
- 1942年3月:ビルマ(ミャンマー)も日本の支配下に
日本はイギリスの東南アジアの植民地を次々と占領し、大英帝国に大打撃を与えました。
イギリスの反撃(1943年以降)
- 1943年以降、イギリス軍はインドを拠点に反攻を開始。
- 1944-1945年にはインパール作戦で日本軍が敗北し、日本の劣勢が決定的になりました。
- 1945年にはイギリス軍がビルマを奪還し、日本軍は撤退しました。
日本の降伏(1945年8月15日)
日本がポツダム宣言を受諾し降伏したことで、日英の戦争は終結しました。
4. 戦後の関係
日本の占領と復興
戦後、日本は連合国(イギリスを含む)の占領下に置かれましたが、主にアメリカが占領を主導しました。
和解と国交回復
1951年、サンフランシスコ平和条約によって日本とイギリスは正式に和解し、1952年に国交を回復しました。
現在の関係
その後、日本とイギリスは経済や外交で協力を深め、現在では良好な関係を築いています。日英は経済協力や防衛協力を進めており、特に近年では自由貿易協定(FTA)や安全保障面での協力が強化されています。
まとめ
- 第二次世界大戦では、日本とイギリスは敵対関係にあり、特に東南アジアで激しい戦闘が行われた。
- 戦前の日英同盟から、戦争前の対立を経て、最終的に両国は戦場で激突。
- 戦後、日本とイギリスは和解し、友好関係を築いてきた。
現在では、日英は経済や安全保障面で協力関係を強化しており、歴史的な対立を乗り越えた関係となっています。
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