「極右」という言葉を聞くと、多くの人は非常に過激な思想を持った特殊な人たちを思い浮かべるかもしれない。
しかし、私は極右の根底にあるものは、もっと単純な「自国主義」なのではないかと思っている。
つまり、自分の国を優先したい、自分たちの生活を守りたい、自分たちの文化や社会を守りたいという意識だ。
そう考えれば、これは一部の特殊な人間だけが持つ感情ではない。程度の差こそあれ、どこの国の国民にも存在する意識ではないだろうか。
イギリス人にも、日本人にも、フランス人にも、ドイツ人にもある。
問題は、その感情がいつ表面に出てくるのかということだ。
景気が良い時には「極右」は見えにくい
経済が順調で、仕事があり、給料が上がり、生活に余裕がある時、人々はそれほど他人のことを気にしない。
外国人が近所に住んでいようが、外国人が職場にいようが、それよりも自分の仕事、家族、旅行、趣味、住宅、車など、もっと別のことに関心が向く。
イギリスでも同じだろう。
生活に余裕がある時には、人々は移民問題や外国人問題を毎日のように考えて生活しているわけではない。
ところが景気が悪くなると状況は変わる。
給料は上がらない。
家賃は高い。
住宅は足りない。
物価は上がる。
公共サービスにも不満が出る。
自分たちの生活が以前より苦しくなったと感じ始める。
すると人間は、「なぜ自分たちの生活が苦しくなったのか」という理由を探し始める。
そして、そこで始まるのが、ある意味での「魔女探し」なのではないかと思う。
不景気になると「誰のせいなのか」を探し始める
経済問題というものは本来、それほど単純ではない。
しかし、複雑な問題を複雑なまま理解することは難しい。
そこで人々は、もっと分かりやすい原因を求める。
その時に標的になりやすいのが外国人や移民だ。
「仕事を外国人に取られた」
「住宅が足りないのは移民が増えたからだ」
「病院が混雑しているのは外国人が多いからだ」
「自分たちの税金が外国人に使われている」
そういった非常に単純な説明が支持され始める。
そして最終的には、
「だったら外国人を追い出せば問題は解決する」
という方向に進んでしまう。
私はこれを、とても愚かな解決策だと思っている。
なぜなら、現在の世界は、外国人を追い出せば昔の社会に戻れるような単純な状態では、もうないからだ。
世界はすでに混ざり合っている
特にイギリスを見れば分かりやすい。
ロンドンを歩けば、世界中の人々が生活している。
ヨーロッパ系、アフリカ系、中東系、南アジア系、東アジア系など、さまざまな背景を持つ人々が同じ都市で生活し、働き、結婚し、家庭を作っている。
そして、その子どもたちが次の世代のイギリス社会を作っている。
これはイギリスだけの話ではない。
世界中で人々は移動し、国際結婚も増え、文化も言語も混ざり合っている。
つまり、人類はすでに、
「白人はここ」
「黒人はここ」
「黄色人種はここ」
というように、きれいに分けられる世界ではなくなっている。
にもかかわらず、社会が不安定になると、私たちはまるで昔の世界に戻れるかのような議論を始める。
しかし、現実にはもう戻れない。
「白・黒・黄」に分けられる時代ではない
現在のイギリス社会を考えてみても、人種だけで人を分類すること自体がどんどん難しくなっている。
親の国籍が違う人もいれば、祖父母の世代でイギリスに移住してきた人もいる。
外見はアジア系でも、生まれも育ちもイギリスという人もいる。
黒人であっても何世代にもわたってイギリスで生活している家庭もある。
逆に白人であっても、最近イギリスへ移住してきた人もいる。
それでも社会が不安定になると、人間は単純なカテゴリーを作ろうとする。
白。
黒。
黄色。
自国民。
外国人。
味方。
敵。
そして、いつの間にか、
「自分たち=正しい」
「自分たちと違う人間=問題」
という構図が生まれてくる。
さらにそれが人種と結び付くと、
「白=正義、黒あるいは黄=悪」
であるかのようなイメージを周囲に押し付けようとする意識まで強くなっていく。
もちろん、それが現実を正確に表しているわけではない。
しかし、人々が不安や不満を抱えている時ほど、こうした単純な構図は広まりやすいのではないかと思う。
極右が突然生まれたわけではない
だから私は、「極右が突然増えた」という見方には少し違和感がある。
極右的な感情、つまり強い自国主義のようなものは、社会の中にもともと存在しているのではないだろうか。
ただ、普段は見えないだけだ。
景気が良く、自分の生活に満足していれば、それを表に出す必要がない。
しかし経済が悪化し、将来への不安が増えれば、その感情が表面に出てくる。
そして政治家やSNS、メディアなどがそこに分かりやすい敵を用意すれば、一気に大きな動きになる可能性がある。
イギリスでも移民問題が政治の大きなテーマになる背景には、単なる人種問題だけではなく、生活に対する不安や経済的不満といったものが複雑に絡み合っていると私は考えている。
世界同時不況のような状態こそ危ない
特に危険なのは、一つの国だけではなく、世界中が同時に苦しくなるような状況だ。
自分の国だけ景気が悪いのであれば、外国に目を向けることもできる。
しかし、世界中で物価が上がり、住宅問題が起こり、生活費が上昇し、将来への不安が広がれば、多くの国で同じような現象が同時に起きる可能性がある。
イギリスではイギリス人が外国人を問題視する。
別の国では、その国の人々が移民を問題視する。
さらに別の国でも同じことが起きる。
つまり世界中で、
「自分たちの生活が苦しいのは外から来た人間のせいだ」
という魔女探しが始まる。
しかし、それで経済問題そのものが解決するわけではない。
もう昔の世界には戻れない
最も重要なのは、この現実ではないだろうか。
世界はもう元には戻れない。
人種も文化も国籍も、すでに混ざり合っている。
イギリスもそうだ。
日本も少しずつそうなっている。
アメリカもヨーロッパも同じだ。
それなのに、私たちは不安になるたびに、
「外国人さえいなくなれば昔の社会に戻れる」
「移民を追い出せば問題は解決する」
という幻想に逃げ込もうとする。
しかし、それは現実的ではない。
人類が何十年、何百年かけて作ってきた国際社会を、白・黒・黄という単純な色分けの社会に戻すことなど、もはやできないからだ。
極右の問題とは、人間の中にある感情の問題なのかもしれない
極右という言葉だけを見て、
「特殊な思想を持った危険な人たち」
と片付けてしまうのは簡単だ。
しかし、本当に考えるべきなのは、その感情がどこから生まれるのかということではないだろうか。
自分の生活が苦しくなれば、自分の国を優先してほしいと思う。
自分の仕事がなくなれば、外国人に仕事を取られたと思う人も出てくる。
住宅が見つからなければ、移民が増えたからだと思う人も出てくる。
そうした感情自体は、人間社会ではある意味、自然に発生するものなのかもしれない。
だからこそ怖い。
極右とは、どこか遠くにいる特殊な人々だけの話ではなく、社会が不安定になった時に、普通の人々の中に眠っている自国主義が表面に現れた姿なのではないか。
そして経済的不安が世界中に広がれば広がるほど、人々は「誰が悪いのか」を探し始める。
だが、どれだけ魔女探しを続けても、一つだけ変えることのできない現実がある。
世界はすでに混ざり合っている。
イギリスも、日本も、ヨーロッパも、世界全体もそうだ。
私たちはその現実を知っている。
ただ、それに気づかないふりをしているだけなのかもしれない。










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