イギリスで、16歳以下のSNSの使用を制限する法案が国会を通った。
その背景には、10代の若者がSNSを通じて事故死や自殺に追い込まれるケースが増えているという深刻な問題がある。子どもたちを守るために、国がSNSの利用に制限をかけようとすること自体は、理解できる部分もある。
しかし、ここで考えなければならないのは、本当にSNSそのものが悪なのかということだ。
問題の本質は、SNSという仕組みそのものではなく、SNSを使って人を死に結びつかせるような発信をしている人たちではないだろうか。彼らはSNSを通じて、弱っている人、孤独な人、判断力がまだ十分に育っていない子どもたちに近づき、ときには人を死に追いやるような影響を与えている。
もちろん、SNSという場所がそのような危険な発信を広げやすくしていることは否定できない。拡散力があり、匿名性があり、子どもが大人の監視の届かないところで簡単に危険な情報に触れてしまう。そういう意味では、SNSには大きな責任がある。
しかし、仮にSNSを制限したとしても、そうした人たちは本当に消えるのだろうか。
SNSが使えなくなれば、彼らは別の方法を使うだけではないか。別のアプリ、別のサイト、別のコミュニティ、別のメッセージ機能。形を変えて、また同じように人に近づく可能性がある。
つまり、問題はSNSという一つの道具を制限するだけでは終わらない。人を傷つける発信、人を死に追いやるような発信をする人たちをどう止めるのか。そこにもっと焦点を当てなければ、本当の解決にはならないのではないか。
さらに、この法律にはかなりの抜け穴があるように思える。
SNSのアプリの種類が限定されているのであれば、誰かが新しいアプリを作った場合、その新しいサービスに対してすぐに同じ制限をかけられるのかという問題が出てくる。子どもたちは大人が思っている以上に、新しいアプリや抜け道を見つけるのが早い。規制する側が一つのサービスを制限しても、すぐに別の場所へ移ってしまう可能性がある。
そう考えると、これはまさにイタチごっこだ。
法律を作る。
子どもたちは別のアプリへ移る。
新しい危険な場所が生まれる。
また法律を作る。
この繰り返しになってしまえば、子どもを守るための法律が、現実に追いつかない可能性がある。
そして、もう一つ大きな問題がある。
すでにSNS漬けになってしまった10代の若者たちが、そこから抜け出すために、どれほどの痛みと時間を必要とするのかということだ。
SNSは、ただの暇つぶしではない。毎日の習慣になり、友達とのつながりになり、自分の存在を確認する場所になり、承認欲求を満たす場所にもなっている。通知が来る。誰かが反応する。動画が流れてくる。次から次へと情報が入り、自分の意思だけではなかなか止められない仕組みになっている。
これは、タバコやお酒と同じようなものではないだろうか。
体に悪いからやめなさいと言われても、一度はまってしまったものから人は簡単には抜け出せない。頭では分かっていても、手が伸びてしまう。やめたいと思っても、また戻ってしまう。それが中毒の怖さだ。
SNSも同じだと思う。
しかも、それを10代の子どもたちに「自分の力でやめなさい」と求めるのは、あまりにも無理がある。大人でさえスマートフォンを手放せない。大人でさえ、SNSの通知を気にし、意味もなく画面を開いてしまう。大人でさえ難しいことを、まだ心も脳も成長途中の子どもに求めるのは、現実的ではない。
SNS中毒から抜け出すには、相当な強い精神力が必要だ。
しかし、そもそも子どもにそこまでの精神力を求めること自体が間違っているのではないか。子どもは大人が守るべき存在であり、危険なものから距離を取れる環境を大人が作らなければならない。
ここで、私たち大人も自分たちの責任を考えなければならない。
親が子どもにスマートフォン、iPad、タブレットなどのデバイスを与えるとき、誰も自分の子どもがそれによって死に追い込まれるとは想像していなかっただろう。多くの親は、ただ便利だから、子どもが喜ぶから、静かにしてくれるから、勉強にも使えるから、という感覚で与えたのだと思う。
誰も最初から悪意を持って子どもにデバイスを与えたわけではない。
しかし、結果として、それは子どもを危険な世界に近づける入口になってしまった。
もちろん、これは誰か一人を責める話ではない。社会全体がそういう流れになっていた。学校でもデジタル化が進み、家庭でもスマートフォンやタブレットが当たり前になった。子どもがデバイスを持つことは、特別なことではなくなった。
それでも、厳しい言い方をすれば、子どもにデバイスを与えてしまった親の怠惰もあったのではないか。
大人は子どもと遊ぶこと、子どもを楽しませること、子どもの相手をすることが面倒になってしまった。そして、一人でも遊べるおもちゃとして、スマートフォンやタブレットを与えた。新しいおもちゃを買ってあげるような感覚で、デバイスを子どもに渡してしまった。
しかし、その画面の向こうには、大人が想像していた以上に巨大なバーチャルワールドが広がっていた。
そこには楽しい動画もある。友達との会話もある。ゲームもある。音楽もある。勉強に役立つ情報もある。しかし同時に、悪意ある人間、危険な思想、誤った情報、過激な映像、そして子どもの心を壊してしまうような世界も存在している。
子どもは、その危険性を十分に理解できない。
現実の世界とバーチャルの世界の境界線を、まだはっきり区別できない子どももいる。自分が見ているものが本当なのか、作られたものなのか。相手が本当に信頼できる人なのか、悪意を持って近づいている人なのか。それを判断する力は、まだ十分ではない。
その無力な子どもたちが、スマートフォン一つでその世界に入ってしまった。
そして、気づいたときには、そこから抜け出せなくなっている。
今回のSNS制限法案は、子どもを守るための一つの動きではある。しかし、それだけで問題が解決するとは思えない。SNSを制限すれば終わりではない。新しいアプリが出れば、また同じ問題が起きる。危険な発信者がいる限り、場所を変えて同じことが繰り返される可能性がある。
本当に必要なのは、SNSを悪者にして終わらせることではない。
子どもたちを危険な情報から守る仕組みを作ること。
人を死に追いやるような発信をする人間を厳しく取り締まること。
親がデバイスを与えることの意味をもう一度考えること。
そして、すでにSNSに依存してしまった子どもたちを、責めるのではなく、時間をかけて助けること。
子どもたちは、自分から危険な世界に行きたかったわけではない。大人が与えたデバイスの先に、たまたまその世界があっただけだ。
だからこそ、大人は今になって「SNSは危ないからやめなさい」と言うだけでは済まされない。
その世界への扉を開けたのは、大人たちだったのだから。
子どもを守るというのであれば、法律だけではなく、家庭、学校、社会、そして大人一人ひとりの意識を変えなければならない。SNSを制限することは、出発点にはなるかもしれない。しかし、それを本当の解決にするためには、もっと深いところにある問題と向き合う必要がある。
子どもたちを守るために必要なのは、単なる禁止ではない。
大人が責任を持って、子どもたちを現実の世界へ連れ戻すことなのだ。









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