「紳士の国」イギリスは日本より犯罪が多い?それでも日本がそう呼ばれない理由

イギリスと聞くと、どのような人々を思い浮かべるでしょうか。

スーツを着こなし、紅茶を飲み、女性のためにドアを開け、どんなときでも「プリーズ」「サンキュー」「ソーリー」を忘れない男性。日本では昔から、イギリスを「紳士の国」と表現することがあります。

しかし、実際にイギリスで暮らしてみると、このイメージに疑問を感じる場面もあります。

街では酔った人同士のけんかが起き、ナイフ犯罪や強盗がニュースになり、スマートフォンのひったくりも珍しくありません。殺人などの重大犯罪についても、日本よりイギリスのほうが多い傾向があります。

そこで、素朴な疑問が生まれます。

犯罪が圧倒的に少なく、公共の場でも比較的礼儀正しい日本ではなく、なぜイギリスが「紳士の国」と呼ばれるのでしょうか。

殺人率は確かに日本のほうが低い

まず、犯罪統計を確認してみましょう。

イングランドとウェールズでは、2025年12月までの1年間に警察が503件の殺人・故殺などの「homicide」を記録しました。人口100万人当たり8.1件、人口10万人当たりでは約0.81件です。前年より6%減少しており、イギリスの殺人率自体は長期的に低下しています。

一方、国連薬物犯罪事務所の国際比較データでは、日本の2023年の故意による殺人率は人口10万人当たり約0.23件でした。単純計算すれば、イングランドとウェールズの最近の殺人率は日本の3倍以上になります。ただし、対象年や統計範囲が異なるため、これは厳密な同年比較ではなく、おおよその差を示す数字です。

日本のほうが殺人事件に遭う可能性が低いという大きな傾向は間違っていません。

しかし、イギリスも世界的に見れば殺人率が低い国です。イングランドとウェールズの2025年3月までの殺人率は人口100万人当たり8.6件で、1977年以来の低水準でした。世界平均は2021年時点で人口100万人当たり58件とされているため、「日本より多い」ことと「世界的に危険な国」であることは同じではありません。

犯罪件数だけの単純比較には注意が必要

日本の警察庁によると、2025年の「殺人」の認知件数は976件でした。一方、イングランドとウェールズのhomicideは503件です。

この数字だけを見ると、「日本のほうが殺人が多いではないか」と思うかもしれません。しかし、この二つをそのまま比較することはできません。

日本の犯罪統計における「殺人」の認知件数には、実際に人が死亡した既遂事件だけでなく、殺人未遂などが含まれる場合があります。英国のhomicide victim統計は、実際に死亡した被害者を中心に集計しています。犯罪の定義、通報制度、警察の記録方法、起訴後の分類が国によって違うため、国際比較には人口当たりの「故意による死亡者数」が比較的使われやすいのです。日本の2025年の重要犯罪統計では、殺人、強盗、不同意性交などを合わせた認知件数が1万5,086件とされています。

世界銀行も、殺人統計は各国の刑事司法制度や死亡原因統計から集められており、何を殺人として分類するか、どの程度正確に記録できるかに差があるため、国同士の比較には注意が必要だと説明しています。

それでも、国際的に定義をそろえた統計を見れば、日本が世界でも特に殺人率の低い国であることは確かです。

「紳士の国」は治安ランキングではない

ここで最も重要なのは、「紳士の国」という言葉は、犯罪の少なさを表す称号ではないという点です。

まるで世界中の国を犯罪率、マナー、親切さで採点し、最も成績の良かった国に「紳士の国」というトロフィーが贈られたように聞こえますが、実際にはそのような制度はありません。

「ジェントルマン」は、もともと英国社会の身分や階級と深く結び付いた言葉でした。

歴史的には、土地や家柄を持つ上流階級やジェントリ階級の男性を示す言葉であり、単に「優しい男性」「礼儀正しい男性」という意味ではありませんでした。その後、産業革命によって富裕な商人、専門職、中産階級が力を持つようになると、家柄だけでなく、服装、教育、話し方、自制心、礼儀、名誉なども「紳士らしさ」の条件として強調されるようになりました。

ヴィクトリア時代には、「男らしさ」や節度、自立、責任感といった価値観が、上流階級だけでなく、実業家や「立派な労働者階級」にまで広がっていきました。

つまり「紳士」とは、英国社会が自ら作り上げた男性の理想像だったのです。

すべての英国人が紳士だったわけではない

当然ながら、ヴィクトリア時代の英国人男性全員が、ステッキとシルクハットを持った礼儀正しい紳士だったわけではありません。

当時の英国にも、貧困、暴力、窃盗、売春、児童労働、家庭内暴力など、深刻な社会問題がありました。

「ジェントルマン」という言葉が頻繁に使われていたのは、誰もが紳士だったからというより、むしろ社会の中に「こう振る舞うべきだ」という理想が存在していたからです。

現代の企業が「お客様第一」と大きく掲げているからといって、すべての顧客対応が完璧とは限らないのと同じです。

「紳士の国」とは、英国社会の現実をそのまま説明した言葉ではありません。英国が自国の理想的な男性像を世界へ発信し、そのイメージが長く残った結果なのです。

大英帝国と英語がイメージを世界へ広げた

英国の「紳士」というイメージが世界中に定着した背景には、かつての大英帝国の影響力があります。

英国は政治、貿易、教育、外交、軍事、文学、ファッションなどを通じて、英国式の制度や文化を世界各地へ広げました。英語も国際語として定着し、英国の学校教育、寄宿学校、大学、社交クラブ、スーツ、食事作法などが、洗練された上流文化として紹介されました。

その後も、英国王室、シェイクスピア、オックスフォード大学やケンブリッジ大学、スパイ映画、執事、アフタヌーンティーといった文化的イメージが、映画や文学、観光を通じて繰り返し輸出されてきました。

英国文化に対する国際調査でも、「礼儀正しい」「教育を受けている」「親しみやすい」といった印象が英国の肯定的な特徴として挙げられています。

これは英国人が日本人より礼儀正しいという証明ではありません。

英国は、自国の理想像を世界に見せる力が非常に強かったということです。

英国の礼儀は「分かりやすく見える」

英国式の礼儀には、外国人にも理解しやすい特徴があります。

ドアを押さえる、順番を守る、知らない人にも「Thank you」と言う、何かを頼むときには「Please」を付ける、人にぶつかったら「Sorry」と言う。

このような行動は、言葉や動作として外から見えやすいものです。

一方、日本の礼儀は、空気を読む、他人に迷惑をかけない、公共の場所を静かに使う、靴をそろえる、共有スペースを清潔にする、時間を守るといった、集団生活の秩序として表れる傾向があります。

日本では、ドアを開けたまま次の人を待つ人が少なくても、電車内で大声を出す人も比較的少ない。

英国では、見知らぬ人が笑顔でドアを押さえてくれる一方、その人が金曜の夜にはパブの外で大声を出している可能性もあります。

どちらが礼儀正しいかは、何を礼儀と考えるかによって変わります。

日本には別の「ブランド」がある

日本が「紳士の国」と呼ばれない最大の理由は、日本のマナーが英国より劣っているからではありません。

単に「ジェントルマン」という言葉が、英国の歴史、男性観、階級制度、服装、文学から生まれた概念だからです。

日本に対しては、「礼儀正しい国」「治安の良い国」「おもてなしの国」「秩序を守る国」といった別の表現が使われます。

また、伝統的な日本男性の理想像として海外に知られてきたのは、「ジェントルマン」より「サムライ」や「武士道」です。

英国にはシルクハットをかぶった紳士、日本には刀を持った侍という、非常に単純化された国民的キャラクターが作られました。

もちろん、現代の英国人が全員シルクハットを持っていないのと同様、現代の日本人男性が全員武士道精神で生活しているわけではありません。

国のイメージとは、現実の平均的な国民を忠実に描いたものではなく、外国人にとって覚えやすい象徴なのです。

礼儀正しさと犯罪率は別の問題

殺人率が低い国だからといって、その国の人が全員親切とは限りません。

反対に、殺人率が日本より高い国でも、日常生活で親切な人は大勢います。

殺人や重大犯罪の発生率には、人口構成、貧困、格差、薬物市場、家庭環境、都市構造、警察制度、武器へのアクセス、若者への支援など、さまざまな要因が影響します。

一方、ドアを押さえる、列に並ぶ、丁寧な言葉を使うといったマナーは、教育や社会習慣、階級文化、地域の慣行によって形成されます。

両者には関係がないわけではありませんが、同じものではありません。

スーツを着て「After you」と言う人物が、必ずしも犯罪を犯さないとは限りません。そして、無言で先にエレベーターへ乗った人物が、危険人物であるわけでもありません。

現代の英国を「紳士の国」と呼べるのか

現在のイギリスを実際に見ると、昔ながらの「紳士の国」という表現にはかなり無理があります。

英国には礼儀正しく親切な人もいますが、乱暴な人もいます。日本と同じように、地域、世代、教育、所得、生活環境によって人々の振る舞いは大きく異なります。

さらに、「紳士」という言葉自体が男性中心で、階級社会を前提とした古い表現です。

現代の多民族・多文化社会である英国全体を、一部の上流階級男性から生まれた言葉で説明することには限界があります。

それでも「紳士の国」という言葉が残り続けるのは、現実に正確だからではありません。

古い映画、文学、王室、スーツ、紅茶、パブリックスクール、英国式英語といった印象が、非常に強力だからです。

日本のほうが「紳士的」かもしれないが、名前は英国に残った

犯罪率、公共交通機関の秩序、落とし物が戻る可能性、夜間に一人で歩ける安心感などを基準にすれば、日本のほうが「紳士的な社会」に見えるという意見には十分な理由があります。

しかし、「紳士の国」は社会の安全性を客観的に評価した称号ではありません。

英国の歴史の中で生まれた階級的・男性的な理想像が、英語、大英帝国、文学、ファッション、映画によって世界へ広がり、文化的ブランドとして残ったものです。

日本は「紳士の国」と呼ばれなくても、治安の良さや公共の秩序、他人への配慮という面では、英国より高く評価されることがあります。

結局のところ、「紳士の国」とは、国民全員の行動を説明する言葉ではなく、その国が世界に見せることに成功した物語なのです。

英国はその物語を先に作り、世界へ広めました。

そして日本は、紳士という英国製の看板を手に入れる代わりに、「礼儀」「治安」「おもてなし」という別の看板を持つようになったのです。

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