海外にいるだけで「まともな人生」だと勘違いしている日本人へ――移民は一生、移民である

海外に住んでいるというだけで、なぜか自分の人生が日本にいる人より一段上になったように感じている日本人は少なくない。

ロンドンに住んでいる。海外で働いている。英語で生活している。外国人の友人がいる。週末にはパブへ行き、たまにヨーロッパ旅行をする。

SNSに切り取れば、確かにそれなりに見える。日本の満員電車から解放され、海外の街並みを背景にコーヒーを飲んでいれば、「自由で豊かな人生」を送っているようにも見えるだろう。

しかし、その中身を少し見てみると、実際には大した生活をしていない人も多い。

狭い部屋を高い家賃で借り、仕事はいつ切られるか分からず、ビザの期限を気にし、物価の高さにため息をつき、老後のことなど考える余裕もない。それでも「海外にいる自分」という看板だけは手放したくない。

日本にいた頃より生活が楽になったのか。収入は増えたのか。心は安定しているのか。将来に希望はあるのか。

そこを冷静に見れば、答えは必ずしも「はい」ではないはずだ。

海外に住んでいることと、人生が成功していることはまったく別の話である。

むしろ海外生活には、日本にいればあまり意識しなくて済んだ不安がある。言葉、文化、雇用、医療、住宅、子どもの教育、老後、そして何より、自分がこの国で本当に受け入れられているのかという問題だ。

私のいるイギリスでは、移民に対する風当たりが年々強くなっていると感じる。

生活費、住宅不足、NHSの混雑、治安、雇用の問題が起きるたびに、移民という存在が便利な標的にされる。政治家やメディアが移民問題を大きく扱えば扱うほど、街の空気も少しずつ変わっていく。

実際、2025年までの1年間で、イングランドとウェールズでは人種を理由とするヘイト犯罪が前年比6%増加した。人種・宗教を理由とする「負傷を伴わない暴行」も10%増えている。ロンドン警視庁のデータは前年比比較から除かれているため単純比較はできないが、少なくとも敵意が弱まっているとは言い難い。

北アイルランドでも、2025年の人種差別に関連する犯罪は1,430件となり、統計開始以来の高水準になった。人種差別に関連する事件も2,260件で、前年から大きく増えている。

さらに、英国で「移民問題」を重要な課題だと考える人は増えている。2025年秋の調査では、回答者の64%が移民を英国の重要課題として挙げており、2022年の43%から大きく上がっている。

もちろん、すべての英国人が移民を嫌っているわけではない。親切な人も多いし、外国人を家族や友人として自然に受け入れてくれる人もいる。

ただし、社会全体の空気が悪くなったとき、移民は真っ先に「自分たちとは違う人」として扱われやすい。

普段は笑顔で接してくれる人でも、景気が悪くなり、住宅が足りず、医療が混み、犯罪への不満が高まれば、「この国がこうなったのは誰のせいか」という話になる。そのとき、移民は非常に都合のよい答えにされる。

永住権を取っても、市民権を取っても、英語が完璧でも、税金を納めていても、名前、顔、アクセント、出身国によって、ある瞬間に「外から来た人」として扱われることがある。

結局、移民は一生、移民なのだ。

これは悲観したいわけでも、海外移住を否定したいわけでもない。海外で生きることには、日本では得られない経験も自由もある。

しかし、「海外にいる自分は、日本にいる人より上だ」という安っぽい優越感だけは、そろそろ捨てたほうがいい。

海外にいるから偉いのではない。英語を話せるから人生が成功しているわけでもない。ロンドンに住んでいるから、社会的に勝っているわけでもない。

大切なのは、どこに住んでいるかではなく、その場所でどれだけ自分らしく、安定して、尊厳を持って生きられているかだ。

海外に住んでいるというだけで人生の価値を上乗せし、自分を特別な人間だと思い込むのは危険である。

移民として暮らす現実は、華やかな写真の裏側にある家賃、仕事、ビザ、孤独、偏見、そして「この国で自分はいつまで受け入れられるのか」という見えない不安まで含めて、初めて見えてくる。

海外生活とは、キラキラした自己演出ではない。

移民として生きるということは、自由を手に入れることでもあるが、同時に、いつまでたっても完全には消えない「よそ者」という立場と向き合うことでもある。

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