イギリスが昔とても貧しかったことがわかる「イモ文化」―なぜ英国人はこれほどジャガイモを食べるのか?

イギリス料理を見ていると、あることに気づきます。

とにかくイモが多い。

フィッシュ・アンド・チップスにはフライドポテト。

サンデーローストにはローストポテト。

ソーセージにはマッシュポテト。

シェパーズパイにもマッシュポテト。

コテージパイにもマッシュポテト。

ジャケットポテトに至っては、大きなジャガイモを丸ごと焼いて、それ自体を一食にしてしまいます。

日本人から見ると、

「イギリス人は、どれだけジャガイモが好きなんだ?」

と思ってしまうほどです。

しかし、このイギリスの「イモ文化」を歴史的に見ていくと、単なる好き嫌いとは少し違うものが見えてきます。

それは、かつて多くのイギリス人が決して豊かではなかったという歴史です。

ジャガイモは、もともとイギリスの食べ物ではない

現在では完全にイギリス料理の一部になっているジャガイモですが、そもそもヨーロッパ原産の植物ではありません。

原産地は南米アンデス地方。

イギリスに入ってきたのは16世紀末、1590年代頃とされています。

当初は珍しい外国の植物として扱われ、上流階級などが食べる珍味に近い存在でした。

ところが18世紀半ばになると栽培に適した品種が広まり、収穫量も増え、19世紀にはイギリスの重要な主食の一つになっていきます。Royal Horticultural Societyによると、1836年にはイングランドだけでも136品種が存在していました。

なぜ、そこまで急速に広がったのでしょうか。

理由は極めて単純です。

安く、大量に作れて、お腹いっぱいになるからです。

貧しい人にとってジャガイモは非常に優秀な食料だった

肉を毎日食べるにはお金がかかります。

魚も場所によっては高価です。

しかしジャガイモなら比較的狭い土地でも大量に収穫でき、炭水化物を取ることができます。

煮てもいい。

焼いてもいい。

潰してもいい。

スープにも入れられる。

そして何より、腹持ちがいい。

冷蔵庫など存在しない時代には保存しやすいという利点もありました。

現在なら「今日は何を食べようかな」と料理を選びますが、当時の貧困層にとって重要だったのは、

美味しいかどうかよりも、今日一日を生き延びられるだけのカロリーをいかに安く手に入れるか

という問題だったのです。

「朝食がジャガイモ」という世界

当時の記録を見ると、その現実がよく分かります。

1858年、イングランドのワークハウスに入っていた64歳の男性John Hankinsonは、食事が十分ではないとして当局に手紙を書きました。

彼が記録した朝食は、

紅茶1パイントとジャガイモ1.5ポンド。

昼食は薄い粥やスープのような「skilly」、夕食には少量のパン。

つまりジャガイモは副菜ではありません。

ほとんど食事そのものだったのです。

現代のイギリスでローストポテトを見ながら、この時代を想像する人はほとんどいないでしょう。

しかし、イギリスのジャガイモ文化にはこうした庶民の生活史が隠されています。

「肉とポテト」ではなく「ほぼポテト」だった

現在のイギリス料理を見ると、

「肉+ジャガイモ」

という組み合わせが非常に多くあります。

ところが貧しい人たちにとって、肉はいつでも食べられるものではありませんでした。

Historic Englandが紹介しているワークハウスの食事も、基本は薄い粥、パン、チーズなどで、肉とジャガイモが出るのは週に一度程度だったとされています。

1894年の別のワークハウスについては、ある日の夕食が、

「薄いスープと少量のパン」

別の日が、

「スエットプディングとジャガイモ1~2個」

だったという記録も残っています。

私たちが想像する華やかな大英帝国とは、かなり違う世界です。

大英帝国なのに、国民全員が豊かだったわけではない

ここがイギリス史の面白いところです。

19世紀のイギリスは世界最強クラスの国家でした。

産業革命を起こし、工場を作り、蒸気機関を発展させ、世界各地と貿易し、大英帝国を築いていきます。

国家として見れば非常に豊かでした。

しかし、

国が金持ちであることと、国民が金持ちであることは同じではありません。

急激に工業化したロンドン、マンチェスター、リバプール、バーミンガムなどには大量の労働者が集まりました。

彼らの中には低賃金、長時間労働、過密住宅、劣悪な衛生環境の中で暮らしていた人も大勢いました。

さらに19世紀前半には、穀物の輸入を制限するCorn Laws(穀物法)の影響でパンなどの価格が高く保たれ、都市労働者は収入の大きな割合を食費に使わざるを得ませんでした。

そこで重要になるのがジャガイモです。

安い。

育てやすい。

大量に取れる。

お腹が膨れる。

貧しい家庭にとっては、極めて合理的な食べ物でした。

貧困層向け食堂にも「POTATOES」

1889年にロンドンのBethnal Greenで救世軍が開設した貧困層向けの安価な食堂のメニューを見ると、当時の食事情がさらによく分かります。

スープ、パン、豆、キャベツ、米などと並んで、

POTATOES

が単品で販売されています。

そして労働者向けの食事には、

MEAT, PUDDING and POTATOES

というメニューがあります。

現在のイギリス料理とほとんど同じ組み合わせです。

つまり、今の英国料理の原型の一部は、豪華な王侯貴族の食卓ではなく、

働く庶民が安くお腹を満たすための料理

から生まれているのです。

腐ったジャガイモすら食べさせられていた

さらに衝撃的な記録があります。

1888年、ロンドン東部Poplarのワークハウスにいた人が、当局に食事について苦情を申し立てています。

問題になったのはジャガイモでした。

支給されるジャガイモの多くが腐っており、それでも煮て皮をむき、シチューの中に入れられていたというのです。

その人物は、なんと実際のジャガイモを「証拠」として当局に送ったと記録されています。

現在スーパーに並んでいる綺麗なジャガイモとは全く違う世界です。

だからイギリス料理には「イモ料理」が異常に多い

こうして見ると、現在まで残っているイギリスの定番料理が少し違って見えてきます。

Fish and Chips。

Bangers and Mash。

Cottage Pie。

Shepherd’s Pie。

Roast Potatoes。

Jacket Potato。

Bubble and Squeak。

Chips。

Mash。

どれもジャガイモが主役、あるいは大量に使われています。

もちろん現在のイギリス人がこれらを食べている理由は「貧しいから」ではありません。

完全に食文化として定着しているからです。

しかし、その文化が形成された時代背景をさかのぼれば、安く大量のカロリーを確保する必要があった庶民の生活へとたどり着きます。

イギリス料理がシンプルなのにも理由がある

イギリス料理はよく、

「味が薄い」

「料理の種類が少ない」

「肉を焼いてイモを添えただけ」

などと冗談を言われます。

しかし歴史を考えると、それほど不思議なことではありません。

働いて帰ってきた労働者家庭が毎日何時間もかけて複雑な料理を作れるわけではありません。

高価な材料を何種類も買うこともできません。

肉があれば焼く。

ジャガイモを茹でる。

余った肉と野菜を翌日にまとめて料理する。

安い材料を無駄なく使う。

そうした生活から、

「肉+イモ+野菜」

という英国料理の基本形が出来上がっていったと考えれば、非常に合理的です。

そして現在も英国人はイモを愛している

面白いのは、イギリスが豊かになった後も、この文化が消えなかったことです。

貧しい時代に食べられていた料理が、いつしか、

「子供の頃に食べた味」

「家庭料理」

「Comfort Food」

へと変わっていったのです。

マッシュポテトとソーセージ。

ローストポテトとグレービー。

熱々のジャケットポテト。

フィッシュ・アンド・チップス。

もはや「仕方なく食べる安い料理」ではありません。

英国人のアイデンティティの一部になっています。

国の歴史は、宮殿より食卓を見るとよく分かる

イギリスの歴史というと、

大英帝国。

ヴィクトリア女王。

産業革命。

世界最大の海軍。

植民地。

ロンドンの豪華な建物。

そんなものに目が行きます。

しかし、それだけを見ていると、

「昔のイギリス人は皆豊かだった」

ように錯覚してしまいます。

実際にはその巨大な帝国を支えた労働者の中に、非常に質素な食生活を送っていた人が大勢いました。

その歴史を今に伝えているものの一つが、

ジャガイモです。

ロンドンのパブで山盛りのチップスを食べる。

サンデーローストに大きなローストポテトが三つも四つも載っている。

ソーセージの下に大量のマッシュポテトが敷かれている。

それは単に「英国人はイモが好きだから」だけではありません。

数百年前、

安く、育てやすく、保存でき、そして何より腹を満たしてくれるジャガイモが、多くの庶民の生活を支えてきた。

その記憶が食文化として現在まで残っているのです。

そう考えてからフィッシュ・アンド・チップスを見ると、ただのファストフードではなくなります。

一皿のジャガイモの向こう側に、昔のイギリス人の生活が見えてくるのです。

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