犯罪を起こした側が「自分も被害者だ」と訴え、最初に襲われた人が責任を問われる。そんな話を聞けば、「正義はどこへ行ったのか」と感じるのは無理もない。自宅に押し入られたり、家族を襲われたりした人が、身を守った行動についてまで追及されるのなら、誰のための法律なのかという疑問が生まれる。
「イギリスもアメリカのような、いかれた国になってしまうのか」。その言葉の奥には、被害者が十分に守られず、加害者の言い分ばかりが通る社会への不安がある。しかし、何が起きているのかを考えるには、国への印象と、実際の法律や判断を分けて見る必要がある。
そもそも、アメリカの正当防衛制度は全国一律ではない。例えばフロリダ州には、一定の条件を満たす場合、退避せずに防衛する権利を認める規定がある。一方、ニューヨーク州では、生命を奪い得る力を使う際、完全に安全に退避できると分かっていれば退避を求める規定があり、自宅内などには例外が設けられている。「アメリカでは加害者が守られる」という一言だけでは、その違いは見えなくなる。leg.state.fl.us
イギリスについても、「反撃して相手をけがさせたら、自動的に犯罪者になる」という理解は正確ではない。ロンドンを含むイングランドとウェールズでは、自分や他人を守るために、その状況で合理的と認められる力を使うことが認められている。自宅で自分や家族に危険がある場合、実際に攻撃されるまで待つ必要もない。www.gov.uk
加害者がけがをしたという結果だけで、被害者の防衛行為が違法になるわけではない。
例えば、侵入者の攻撃を止めるために抵抗した場合と、侵入者が意識を失い、危険が去った後も罰を与える目的で殴り続けた場合では、判断が変わる。後者については、最初に襲われた人でも刑事責任を問われる可能性がある。侵入者は、自分が犯した犯罪とは別に、その後の違法な暴力の被害者になり得るということだ。www.cps.gov.uk
ここで、最初の犯罪が帳消しになるわけではない。住人を襲った責任と、その後に必要性を失った暴力を加えた責任は、それぞれ検討される。「加害者」「被害者」という言葉を、その人のすべての行動に当てはまる固定された肩書のように使うと、この関係が分からなくなる。
ただし、法律の説明が整っていれば、それで被害者が納得できるわけでもない。
突然、自宅に知らない人が押し入ってきたとする。相手が武器を持っているか、仲間がいるか、次に何をするかも分からない。その場にいる人にとっては、自分や家族が生き延びられるかという問題だ。安全な場所から映像や証言を検討する人と、恐怖の中で数秒の判断を迫られる人とでは、置かれた状況が違う。
英国の検察当局CPSと警察幹部団体の共同指針も、とっさの場面で力の程度を厳密に判断することまでは求めていない。その人が当時、何を危険だと認識し、何が必要だと考えていたかが重視される。適切な正当防衛であれば、侵入者が死亡した場合でも違法とはならないと説明している。www.cps.gov.uk
実際、CPSが2026年7月3日に公表したノッティンガムシャーの事件では、武装し覆面をした4人が住居として使われていたキャラバンに押し入り、住人を襲った。住人が抵抗する中で侵入者1人が死亡したが、住人は自分とパートナーなどを守ったとして起訴されなかった。一方、侵入した仲間2人には、その死亡についての刑事責任も認められ、有罪判決が出た。www.cps.gov.uk
この事例からも、「侵入者が死傷すれば、住人が処罰される」という単純な構図ではないことが分かる。同時に、一つの事例だけで、被害者保護が十分に機能しているとも言い切れない。
被害者にとって切実なのは、事件の後にどのような対応を受けるかだ。捜査の見通しが分からず、同じ説明を何度も求められ、身を守った自分が疑われていると感じれば、負担は大きい。死亡や重傷が生じた事件では詳しい捜査が必要になるが、捜査を受けることと、有罪であることは別である。CPSの指針も、こうした事件を可能な限り迅速かつ配慮をもって扱う方針を示している。www.cps.gov.uk
その方針が、実際の対応で守られているかが問われる。なぜ事情を聴く必要があるのか。いつ判断が出るのか。身の安全をどう確保するのか。こうした説明を受けられずに放置されれば、最終的に起訴されなくても、被害者には深い不信が残り得る。
また、加害者にも人権があるという原則は、犯罪の責任を曖昧にするために使われるべきではない。誰であっても、証拠に基づいて判断され、弁明の機会を与えられる必要がある。それは、無実の人が誤って加害者扱いされたときにも欠かせない仕組みだ。
しかし、加害者の境遇や更生の可能性を考える場面で、被害者の恐怖や生活の変化が後景に追いやられてよいはずもない。事件の後に眠れなくなった人、自宅に帰るのが怖くなった人、働けなくなった人には、その状態に応じた支援が必要になる。刑事手続が終わっても、被害の影響が終わるとは限らない。
イングランドとウェールズの「被害者のための実務規範」であるVictims’ Codeには、支援を受けること、事件の進捗を知らされること、被害の影響を伝えることなどが定められている。GOV.UK 制度が存在する以上、被害者が必要なときに利用できたか、その後の安全や生活の回復につながったかまで確かめるべきだ。
「本当の正義」とは何か。この問いに、すべての事件で同じ答えを当てはめることはできない。それでも、誰が危険を生み出し、誰が何を守ろうとし、それぞれの行動にどのような責任があるのかを丁寧に判断することは欠かせない。
防衛する人の恐怖を理解せず、後知恵で完璧な判断を要求すれば、人は身を守ることをためらう。一方で、「相手は犯罪者だから」という理由だけで、危険が去った後の報復まで許せば、暴力を止める基準が失われる。法律の運用には、その両方を避ける難しさがある。
イギリスの将来を考えるときに見るべきなのは、被害者への説明と支援が届いているか、正当な防衛が適切に理解されているか、犯罪の責任が証拠に基づいて問われているかという具体的な対応だ。
被害者が、自分の安全を取り戻すためにさらに長い闘いを強いられる社会には、改善が必要である。身を守った人が当時の恐怖を理解してもらえ、加害行為には相応の責任が問われ、事件後の生活にも支援が届く。その実現にどこまで近づけるかによって、社会の正義は評価されるべきだ。










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